三十路からのデスマーチ

何気ない日常がもしかしたら誰かの役に立つかもしれない。

死別の苦しみを描く「ソー:ラブ&サンダー」

※結末についてのネタバレが含まれます。

 

MCUのコメディ担当、タイカ・ワイティティ監督が担当したマイティー・ソーシーリーズの四作目にあたる「ソー:ラブ&サンダー」。タイトルを観た時に「はいはい、サンダーは雷神のソーでラブは元カノジェーンね。」と思わせておいて「とんだ愛の物語だった……。」と観た後空を見上げたくなるような作品でした。

タイカ・ワイティティ監督はMCUだけでなく、デッドプールが「暗い奴だな。さてはお前DC出身だな」とこするライバル会社のDC作品も手掛けたりしています。

そんな監督が打ち出した本作はジェットコースターに乗っているような感情の起伏の激しい作品でした。

まず冒頭で本作のヴィランの誕生が描かれるわけです。

バットマン至上最も重厚で美しいブルース・ウェインを演じた、クリスチャン・ベールです。あのイケメンが見る影もないからっからに乾いたゾンビみたいな外見になります。

本作のヴィラン、ゴアがヴィランになる前は、安住の地を求めて幼い娘を抱えて砂漠をさまよう一人の父親でした。

何度神に祈っても救いはなく、最後に娘は父の腕の中で「疲れた」と言って息を引き取るわけです。

「おなかが空いた」でも「のどが渇いた」でもなく、そんなことも感じられないほど疲弊しきった娘を抱いて響くゴアおじさんの慟哭は思い出しただけでも泣けてきます。

来世の幸せを信じて神に祈ったのに、その神に「来世なんてない。」「信者は他にもいる。」と否定され、ゴアおじさんはすべての神を殺す神殺しの道を歩むわけです。

そして場面は変わり、今までのソーのダイジェストです。

あれほど悲しい死別を見せておきながら、数秒ごとに死んでいくソーの仲間がダイジェスト放送。

弟のロキは三回くらい死んでます。

日本が誇る名優浅野忠信が演じるホーガンの時だけ「こいつ知らね」とナレーションされ、ポップコーンをスクリーンにぶつけたい気持ちをぐっと抑える、日本の鑑賞者は多かったのではないでしょうか。

ダイエットに成功したソーはGotGのみんなと別れて、身体が岩石でできたクロナン人のコーグと、ものすごくうるさいヤギ2頭と一緒に神殺しのゴアおじさんを追いかける旅に出ます。

ちなみにコーグはご両親が二人ともお父さんで、クロナン人は男性同士も溶岩の上で手をつないで一緒にいると子供をつくることができるそうです。とてもロマンチックです。

ドクター・ストレンジMOMに出てきたアメリカちゃんのお母さんたちも、湖の上で手をつないだりしてたのでしょうか。とてもロマンチックです。

その頃、ソーの元カノジェーンは、癌にむしばまれていました。

ステージ4の絶望的な状況で、彼女は粉々になったソーのハンマーに呼ばれ、二人(?)で新しいソーとして活躍していました。

この二人の再会で、物語に「元カノとよろしくやっているハンマーにちくちく未練たらしく嫌味を言うソーの背後にそっと現れる新しい相棒の斧」という複雑な四角関係ができあがるわけです。

MCUはストレンジ先生のマントといい、物言わないのにクセの強い無機物キャラが魅力的です。

ゴアおじさんは新アズガルドで子供たちを攫い、無意味に子供たちを怖がらせたりしながらモノクロの世界へ行きます。

ソーは元カノとアズガルドの国王ヴァルキリーを連れてゴアおじさんを追いかけます。

神の代表、神OF神のゼウスに助けを求めるのですが、全裸にされてしまいます。

ゼウスに援助を断られましたが、ぽよぽよのラッセル・クロウのチアリーディーングを観ることができました。でも怒ったゼウスはコーグをばらばらにしてしまい、コーグは顔面だけになってしまいました。

ゴアおじさんをやっつけるために、とりあえずゼウスの持ち武器を借りる、というか強奪します。

ここでゼウスの連れていた美女の手の甲を取り、キスをするヴァルキリーという、ヴァルキリー夢女子を量産する以外に必要性がないシーンが挟まれます。

この一瞬だけ何の映画を観ているのかわからないくらい胸がときめいてしまった人も多かったのではないでしょうか。

なんやかんやあってゴアおじさんの手に踊らされてしまったソーは、腎臓をやられたヴァルキリー、癌のぶりかえしで倒れたジェーンを連れて地球に戻ります。

別れたのに、ジェーンの命があとわずかと知り、とてつもない悲しみのあまり自動販売機を殴りつけるソー。

手紙一つで別れたジェーン。

三部作には振られたというセリフだけで一度も出てこなかったナタリー・ポートマン

でも彼女が死んでしまうとなると、ソーはその絶望と悲しみで、彼女が望んでも一緒にゴアおじさんをやっつけに連れていくことはできませんでした。

あれだけ仲間の死をダイジェストで描いていたのに、本作では「死別」の苦しみ、悲しさ、残される方の絶望を克明に描くのです。

本作は、家族の愛、恋人との愛、仲間たちとの愛、そして親子の愛を描いています。そしてその愛を失くすことの苦しみ、切なさ。

まるで「死ぬことよりも生きることのほうが切なく苦しい」と語る様に。

なるほど、最初の雑な死亡シーンダイジェストにはそういう意味が……。

いや、ホーガンに雑なナレーションを付けたことは許しませんからね???

果たしてゴアおじさんから子供たちを救い出すことはできるのか。

そしてジェーンとソーの結末は。

ぜひともハンカチと一緒に劇場に行ってほしいです。

 

ちなみに本作、あちこちに中の人のご家族や友人が出演しています。

幼い頃のソーは、ソーの中の人クリス・ヘムワーズの御子息です。劇中劇でソーを演じるのは中の人のお兄さん。そして、ロキを演じるのは友人マット・デイモンマット・デイモンの無駄遣いも愛だから許されるのです。

さらに作中で中の人の奥様やご息女も出ているとのことなので、ぜひとも探してみてください。

なんていうか、某サメ有名映画レビュワーの方が名付けたワスカバジシステムに近いものが搭載されてます。

しかし、身内をかき集めたからこその、スクリーンにもにじみ出る愛が込められているのです。

 

以下結末のネタバレ

本作は、神に見捨てられたゴアおじさんが、神に復讐する物語でした。

ゴアおじさんは大切な、自分がどんなに苦しんでも失いたくなかった娘を失ったのです。

ゴアおじさんは神殺しの剣にむしばまれ、剣を手放せばすぐに死んでしまいます。

自分の寿命はいらないのです。

自分たちの祈りに応えず、救わなかった神を全て殺すこと以外、自分の命の意味がないのです。

しかし、すべての神を殺そうと願おうとしたときに、ソーに言われて立ち止まるのです。

本当の願いは復讐ではなく、娘の幸せだった。

願えば娘が戻ってくると知ったゴアおじさんは、憎しみのためではなく娘のために躊躇します。

もう自分には寿命がない。

娘にも孤独を味合わせるのか。

神殺しの娘としられたら迫害され、追われるのでは。

生き返らせた娘はまた惨い目に遭うのでは。

もうゴアおじさんの頭の中は娘のことでいっぱいです。

そんなゴアおじさんにソーとジェーンが「一人にしない」というのです。

ゴアおじさんの信じた神は、ゴアおじさんを救ってはくれませんでした。

けれど雷神のソーが、ゴアおじさんを救ってくれたのです。

そしてジェーンは光の粒になって消え、ソーは彼女の意志を尊重します。

結末では、コーグは実家に帰り、ボーイフレンドと共に子供を作り、ヴァルキリーは戻ってきた子供たちに戦い方を教えます。

そしてソーは新しい仲間と共に、平和を守るため旅に出るのです。

ラブ&サンダーのタイトル回収も済ませて、MCUのエンディングの後の次回予告もはさみ、幕を閉じます。

 

ちなみに私は作中もっとも存在感のあった、もっともどうでもいい二頭のヤギがどうなったのか覚えていないので、もう一度観に行こうかと思っています。