「一瞬の希望もない104分間」と銘打たれた韓国の長編アニメ映画、それが『口蹄疫から生きのびた豚』です。
口蹄疫は感染力が強く、蔓延すれば畜産業界に経済的な大打撃を与えかねないため、治療が選択されることは基本的になく、感染した場合その対象だけでなく同じ畜舎に飼われる家畜も全て速やかに殺処分されます。
本作の主人公「豚」は口蹄疫からの殺処分を受け、生きたまま大量の豚と共に生き埋めにされますが、そこから自力で這い上がり、(おそらく)新しい薬剤が使われたこと、畜舎で自殺していた養豚場の主人に噛みついたことで異変が起こり、豚人間に変貌します。
そして豚の血が混ざった川の水を飲んでしまったことで、人間から猿のような獣になってしまった人物がいます。
軍で壮絶ないじめに遭い、首を絞められて抵抗した結果相手を刺殺して山に逃げ込んだチェ・ジョンソクです。
本作はこの二人の怪物を中心に展開していくグロテスクなダークファンタジーです。
こんなガンガゼ並みに尖った映画を、日本に持ち込んだ配給会社はMARCHさん。エモーショナルな人間ドラマを中心とした、素晴らしい作品をこれまでも公開してくださっていたのに、ここにきて温度差でグッピーが死ぬレベルの作品を持ってきました。
予告を見ていただけると分かる通り、絵面が痛々しくキッツいのですが、予告には登場しない正統派の美少女が出たりします。
本作は向上心、もとい欲望の塊の「豚」が人間になるにはどうすればいいか、人間にもっと近づくにはどうすればいいのか、と妖怪人間並みに人間になりたがった豚への、人間なんてろくでもないよというアンサーの物語でもあります。
予告を見た時に、この豚とジョンソクが力を合わせて人間に復讐する物語なのかなと予想をしていましたが、そんなスカッとする分かりやすい物語ではありませんでした。
そもそも、この二人はそれぞれが別々の問題を抱えていて、そのことで手一杯なのです。
ジョンソクの物語はとても悲しく残酷な物語です。
小学生の頃から高校生まで壮絶ないじめを受け、入隊した軍でも尊厳を踏みにじられます。ジョンソクの唯一の平穏は音楽を聴くことですが、作中で彼がどんな音楽が好きなのか、K-POPなのか、ロックなのか、クラシックなのか、一切語られません。
ジョンソクには夢も希望も居場所もなく、逃げ込んだ山でも膝を抱えて時間を過ごします。音楽を聴いて落ち着くこともできません。
一方豚は助けたイノシシに乞われて、人間になる方法を伝授します。
彼らは生き延びるために人間になりたいのです。
しかし実際は、どう見てもクリーチャー。
完璧な人間になる方法を早く教えろと猪たちに圧をかけられ、追い詰められていく豚。
最初はコミカルでどこかほほえましかったのに、段々ギスギスして内輪もめが始まるのがとても人間らしい。
元々富士の樹海も真っ青な自殺の名所だった山ですが、殺人事件をやらかして装備一式持ち逃げした兵士だけでなく、クリーチャーがいることが人間に知れ渡り最終的に韓国軍が投入されるのです。
地獄のような山で、韓国軍VS口蹄疫から生きのびた豚から感染して生まれたクリーチャーとなるわけです。
果たして豚は人間になれるのか。そしてジョンソクの運命は。
是非とも劇場で確かめていただきたいです。
以下ネタバレ
見た目が獣となったジョンソクの前に現れる、ユ・ジウンという名の自殺志願者の女性がいます。
彼女はシルヴィア・プラスの詩集を携え山に登り、美しい顔を泥で汚したまま首を吊ってしまいます。
ジョンソクは自分と歳の近いその女性が自ら命を絶ったのは何故なのか、彼女の身にどうしてそんなことが起きてしまったのか、無意識に考えていたのでしょう。
観客は、ジョンソクとジウンの美しい交流を観ることができますが、自殺しに来た女性がこんな怪物と一緒に過ごすことを選ぶのか、という疑問がどこかぬぐえません。
そしてその答え合わせが出て来た時、やはりこの映画にはそんな都合のいいことは起きないのだ、という納得になります。
本作の結末は登場人物の約9割が生きのびることができなかったという救いのない物語ですが、ジョンソクの行動にはどうしても、捨てきれない情や善性がにじみ出ています。
話したこともない、自分の存在すら知らないであろうジウンの最期の望みをかなえるために、彼女の身体を荼毘に伏し、かつて自分の後輩だった青年の助けを求める声に苦悩しながらも助ける方を選ぶ。
今まで生きてきて何も良いことがなかったと言い、平穏を与えてくれる音楽を聴くことも失くしたジョンソクの底に残ったのが、誰かを助けることだというのは、彼が獣になりたくてもなれなかったことの答えはこの善性なのではないかと思えました。