三十路からのデスマーチ

何気ない日常がもしかしたら誰かの役に立つかもしれない。

怒りの映画「RRR」


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日本では昨今人気が出始めたインド映画。

筋肉!アクション!火薬!ダンス!とすっきり爽快で観れるので「つらい時ほど見てほしい」と勧める人の多いジャンルです。

この秋、映画館に行ってやたらとパワフルなインド映画として、「そうはならんはずなのになっとる!!」の連続を予告で見せられて、やだ……気になる……。と観に行ってしまった人も多いと思います。

そして映画ファンからは「5回見た」「三時間が一瞬だった」「予告通りのものを何倍も見せられた」「無限にカレーとナンが出てくる」「できればポスターはネタバレだから観ないで行ってほしい」というコメントが寄せられています。

しかし中には「RRRは決して笑えるだけの映画ではないし、笑えるコメディアクションを予想していくと裏切られる。」「RRRは真面目な映画。インドの弾圧と差別を描いている。」「RRRの根底には監督の怒りを感じる。真面目にみるべき作品。」「それはそれとして火薬と筋肉と予告の映像全部倍盛である」というコメントがあります。

 

私も獰猛な野生動物と共に飛び出す主人公ビームのワンシーンを観て「ちょっと観てみよう。」と行ってきました。

きっとあんまり深く考えないで観れるんだろうなとわくわくしながら観に行ったんです。

期待に胸を膨らませて、アバターとワカンダフォーエバーの予告を観終わると映画が始まります。

イギリス植民地時代のインドのとある村。美しい声で歌う少女は英国人の貴婦人の腕にペイントを描いて歓迎しています。

女の子は笑顔で歌っているのに、周りの大人の表情がめちゃくちゃ硬い。

そう、RRRの事前公開されたストーリーは攫われた少女を一人の男が救いに行くという始まりでした。

嫌な予感がしていると、鹿狩を終えてきた夫人の夫が葉巻をスパスパ吸っていて「こいつ悪い奴だ」と子供でも分かる雰囲気を放っています。

英国人の部下が二枚の銅貨を放り投げます。

英語がわからない村の人たちは「女の子の歌声を気に入ってチップをくれたのだろう。」と恐る恐る察し、怯えている女の子の母親に「奥様がマッリの歌声を気に入ってくれたんだ。」と察した年長者が言います。

怯えた母親は「ありがとうございます。」と怯えながらもお礼を言って受け取った瞬間、貴婦人が美声の少女、マッリを連れていきます。

「は? 」と観客も村人も唖然とし、「英国人が銅貨二枚で女の子を買った」と気づいた瞬間、母親は泣きながら車を追い、身を挺して車の前にすがって娘を返してというのです。

こんなに唐突に、花でも折る様に子供が連れていかれるのか。あまりのあっけなさに観客は凍り付きます。

軍人が母親を撃ち殺そうとしたとき、英国人の偉そうなおっさんが「弾がもったいない。」と言い放ち、軍人はその辺に落ちていた木で母親の頭を殴りつけるのです。

車の中で泣き叫ぶ少女の目に映る、血まみれで倒れた母。

筋肉の爽快アクションを期待して来た観客に浴びせられる煮えた油のようなインド人差別。

「アクションを見に来た皆、この映画は差別を描いているんだ。」

監督がサムズアップしながらウィンクしている顔がよぎった方もいたかもしれません。

観客たちのIQが上がり、肝が冷えたところで主人公の一人、ラーマが登場します。

ラーマは警察官。暴徒と化した群衆が攻め寄せる金網を直立不動で見ています。

怯えて引っ込む英国人上司の目の前で、投げつけられた石が部屋に入ってきます。投げつけた暴徒を指さし、「あいつ捕まえてこい」と言いますが、そこは襲い掛かってきそうな暴徒の海の中。

無茶ぶりに一人歩みだしたのはラーマ。バイオハザードのように群がってくる人間をちぎっては投げ骨を折りぶん投げ、石を投げた暴徒を上司の前に引き出すのです。

しかし満身創痍でやってのけたのに、昇進の発表では白人ばかりが選ばれます。

ラーマは英国側のようですが、同時にその階級の中でも差別を受ける側なのです。

再び差別の重い二文字を観客に残します。

 

そしてもう一人の主人公、ビームのターン。

ほぼ裸で狼を狩る主人公、そこへ虎が乱入。原始的な罠と知恵と筋肉で虎を捕獲するという「これ!観客が見たかったやつはこれ!」と思わせてくれます。

ビームは英国人に連れ去られたマッリを取り戻すために、デリーにやってきた村の守護者なのです。

しかし都会ではその正体を隠し、マッリを取り戻すための伝も人員もなく、怒りを押し殺して純朴で優しいインド人として、英国人に理不尽な理由で殴られます。

冒頭、アクションよりも差別の割合が多く、観客たちは真面目な気持ちでスクリーンを眺めます。

アクション映画よりも、差別と闘うシリアスな映画を観に来た気持ちに観客の気持ちがシフトしたときに、再び我々の心に襲い掛かる衝撃。

暴走して燃え盛る燃料を積んだ列車が川に落ち、重油で燃える川の中に一人の少年が取り残されます。

周りが諦める中、少年を助けようと立ち上がったビームに、橋の上から「一緒に助けよう!」と合図を送るのは、潜伏しているビームを追っていたラーマ。

二人は互いが何者か知らず、力を合わせて少年を救うのです。

燃え盛る炎にロープ一本で救助をやり遂げた二人の男に熱い絆が芽生えないわけもなく、今までの暗い気持ちを吹き飛ばすほどの爽快なアクションが観客の心をつかみ、IQをガンガン下げます。

映画一本分くらいありそうなラーマとビームの日常をダイジェストで送り、兄貴とラーマを慕うビームと、本当の弟のようにビームに接するラーマの絆が描かれます。観客たちが二人の主人公をすっかり好きになった時に、ついにその日は訪れます。

二人は互いの正体を知ってしまうのです。

誘拐された村の仲間を助けに来たビーム。

昇進のために英国に楯突く反乱分子を掴まえなければならないラーマ。

二人の絆に亀裂が入り、ついにはラーマに捕らえられてしまうビーム。

どうしてラーマは昇進しなければならなかったのか。

そのストーリーもまた重く、そしてラーマの決意と信念の固さが語られます。

果たしてビームはマッリを助け出すことができるのか。ラーマの過去とは。そして二人の絆の行く末は。

3時間という膀胱が心配になる拘束時間を忘れてしまうほどの圧倒的な展開、そして目を離せない映像の数々。冒頭の重苦しさを吹き飛ばす爽快な結末。アクションに興味がない方も飽きさせないRRRをぜひとも劇場で観ていただきたいです。

 

以下ネタバレ

 

RRRは怒りと差別の映画です。

そしてそれはインドだけでなく、世界において行われている差別を表しています。

ビームが英国人のパーティー会場で「ダンスも踊れないのか」と英国人に馬鹿にされ、笑われた時、真っ先に不快感をあらわにするのが黒人の演奏者。彼は「こんな光景をみるのはうんざりだ。」と表情で表します。

しかし、落ちたシルバーのトレーを持ってきたラーマがドラムで叩きだした瞬間、彼の顔に笑顔が戻ります。

あざ笑う英国人の間をぬって現れたラーマがビームの手を取り、一緒にナトゥを踊りだします。

馬鹿にする英国人男性に対して、英国人女性たちが「いいかげんにして」と彼らをはねのけ、ラーマとビームに「さぁ続けて」と促す一連のシーンは、差別される側が段々立ち上がっていく胸熱くなるシーンです。

差別に対してNOという強い意志。

それを鬱陶しくなく、堅苦しくなく、差別も弾圧も私たちはあきらめないし立ち向かうというメッセージを感じます。

そしてストーリーも単純明快ですっと受け入れることができます。

攫われてきた少女を助ける主人公と、どうしても権力を手に入れなくてはいけない重い過去をもつ主人公が出会う、二人の絆と戦いの日々。

三時間を飽きさせないほど、主人公二人はとても魅力あります。

戦士ビーム。彼はインド人の中には伝説として知られる「村人を守る守護者」です。村から攫われた一人を絶対に助けるために、どこにでもやってくる存在。

ビームは登場シーンでその強さを表しながら、都会では優しく純朴な労働者としてふるまいます。彼はマッリを連れ去った貴婦人の姪ジェニーと出会い、マッリという名前を聞いて何とか彼女に協力してほしいと思うのですが、英語がわからないためうまく伝わりません。しかしジェニーに暴力や恐喝という手段は使わず、どうか助けてほしいという気持ちと、少なからず彼女に対しての好意をもって接します。

しかしラーマと共に戦うために立ち上がった彼の目には、敵に対して微塵の容赦もなく、戦士としての怒りと信念があります。

そんな二面性がビームの魅力として際立ちます。

警察官ラーマ。

彼は津波のように押し寄せる群衆に対し、周りの同僚や上司がおびえる中、すっと背筋を正し、一歩も引きません。それどころか暴徒となった群衆の中に飛び込み、その中から一人を引っ立て連れてくるという「なにがそこまでさせるのか」とぞっとするほどの強さを見せます。

しかし、自分を兄と慕ってくるビームの前では屈託のない笑顔を見せます。ビームが英語がわからないけれども英国人の女性に惹かれていると知ると協力し、身だしなみを整え、ダンスも踊れないと馬鹿にされた時は一緒にナトゥを踊り、そのダンスを馬鹿にしていた英国人も巻き込んでダンスバトルとなるシーンは圧巻。

ラーマは強く鋼のような警察官と、ビームを導いてくれる兄としての顔を持っています。

ラーマの過去は、この映画が戦う映画だと強く印象付けます。

ラーマの父は、英国に立ち向かうための兵士を育てていました。

ラーマ自身も幼い頃から兵士として戦う闘志を燃やしていました。そんな彼に幼馴染の少女シータは寄り添っていました。

ラーマの父と村に足りなかったのは武器。ラーマの父は村の中から警察官として潜入する者を選抜し、権力を手に入れ銃を村にもたらす計画を立てていたのです。

ある日幼いラーマの銃の才能を見出し、息子に全てを託して村人を守るために英国人との戦いで命を落とします。

英国軍人に母と幼い弟を殺され、村のために殉じた父を目の当たりにした幼いラーマの心に、強い決意と信念が芽生えます。

彼の心には常に、シータの存在がありました。

村人全員に銃を持たせると約束し旅立ったラーマを、シータは四年間も便りがなくとも思い続け、無事帰ってきてくれるようにと待っているのです。

ラーマの信念の源、それは故郷に置いてきた愛しい人と、村人との約束だったのです。

RRRは三時間の中に何本もの映画を詰め込んだような構成がくどくなく、作りこまれています。

健気なシータはラーマとの約束を胸に待ち続けていましたが、ある日手紙が届きます。

ラーマからの手紙には、親友を助けるために英国を裏切って、処刑されるはずだった親友と彼が助けに来た少女を一緒に逃がしたこと。悔いはなかったと。

そして英国からは、ラーマの処刑がきまったのでその遺体を引き取りにくるようにと。

絶望と悲しみを胸に抱えやってきたシータは、警官に追われている様子の一団を目にします。

そして彼らを追ってやってきた英国人の警官に「天然痘の人がいるのです。助けてください。」と嘘をつき、追い払います。

天然痘におびえた警官に蹴り飛ばされたシータに、警官に追われていた一人が駆け寄り、お礼を言います。

その男こそ、ラーマに命を救われ、マッリと共に逃げ出したビームでした。

ラーマからの「困った人がいたら助けよう」という意志を引き継いだシータ。その意思が巡って再びビームを助け、ビームはラーマを助けるために筋肉を駆使した救出作戦に出るのです。

要所要所に重い差別をはさみながら、それでも爽快感を抱くことができるのは「最後に必ず勝つのはこの二人だ。」と信頼できるからでしょう。

そしてそれを「ご都合主義」と思うのではなく、二人の魅力が観客に「この二人にどうか最高のエンディングを用意してください!!!」という気持ちにさせること。そして、「この邪悪な英国人夫婦を血祭りにあげてくれ!!」という血を求める衝動が自然と芽生え始めてくるからでしょう。

そもそも邪悪な貴婦人が「絵もうまいし歌声も気に入ったから連れて帰ろう」と銅貨二枚ぽいしてマッリを攫わなければディズ〇ーランドみたいな屋敷が燃えることもあんな最期を遂げることもなかったでしょう。

いえ、それはそれで昇進したラーマが武器を村に送り、もう何年か後にはなりますが同じ末路をたどったかもしれませんが。

観て損はなく、落ち着いたころにはインドの背景を深く考えされられる、筋肉と火薬とダンスと歌が織りなす映画「RRR」。

夏から急に寒くなり、精神と体調が不調を起こしやすいこの季節にぜひとも観ていただきたいパワフルな映画でございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

可愛さと不穏さと眠気との戦い「LAMB/ラム」

先に言います。

この映画は犬がとても可愛いのですが犬好きの方にはおすすめできません。

羊好きの方は予告を観て観賞を決めてください。

 

不穏な予告と公式ツイッターが出す可愛いアダちゃんの画像に「これはいったいどんな映画なんだ」と不安を抱かせる映画、「LAMB/ラム」が公開されました。

海外勢や試写会に参加した人の感想がすでに公開され「寝る。」というコメントもちらほらありました。

この不況の時代に2000円近い観賞料金を払って寝る者などいないだろうと、私も公開日に観てきました。

両サイドの方が開始十分で寝息を立て始めました。

彼らのために弁明させてください。

冒頭十分ほど、まーあのどかなアイスランドの素晴らしい山と自然の音と、会話はないけれど互いに愛情を持っているのを感じる、夫婦の何気ない日常が流れるのです。

夫は羊の世話をし、妻はトラクターのような農具で畑に向かい、可愛らしい愛犬がしっぽをパタパタ振ってついて回り、毛ヅヤの良い愛猫が窓辺に佇む。

寝る。

これは寝る。

最初こそ、なにか不穏なものが羊たちのいる畜舎にやってきたのを思わせるのですが、それ以後ほぼ会話のない夫婦の日常を見せられるのです。

私は幸い羊が好きなので、両サイドの寝息というBGMを聞きながらもどこか不穏なこの映画を見守ります。

そして異変がやってきます。

愛犬の鳴き声に夫婦は臨月の羊の元へ行きます。

産気づいた羊に、いつものように産婆をする夫婦。

そして生まれたなにか。

予告をさんざん見てきた側からすれば「彼女だ」と察しますが、ここまででまだ観客が見えるのは子羊の顔だけなのです。

何も前知識がなければ、妻がとち狂って子羊をなぜか自宅で育て始めたように見えます。

愛し気に抱き上げ哺乳瓶で子羊にミルクを与える妻を見た夫は、一人トラックで泣くのです。

子羊を産んだ母羊は、自分の子羊がいないことを夫婦に訴えるように鳴きます。助演賞ものの演技です。

しかし二人は無視します。

夫はしまい込んでいたベビーベッドを引っ張り出し、子羊はベビーベッドで眠ります。

ここでやっと、シルエットで「羊の頭をした赤ん坊」であることが観客にも伝わります。

こういった物語の場合、どっちかは「いや、これおかしい。」とパートナーを制する方向になりますが、この夫婦は羊の頭をした赤ん坊を我が子のように慈しみだすのです。

母羊は許しません。

ベビーベッドのある部屋の外まできて、何かを訴えるように鳴きます。

妻は母羊を追い払いますが、窓の向こうにいる赤ん坊も何かを察しているようです。

母羊は自分の子供が奪われてしまうと察し、赤ん坊を連れてどこかへ行こうとしますが、人間の夫婦に見つかってしまい、子供は取り返されてしまいます。

この時、この赤ん坊の身体がほとんど人間のように体毛におおわれておらず、それこそ頭と右手以外は人間であることがわかります。

これはとても微妙です。

ほぼ8割は人間。

でも2割くらいは羊。

羊のお母さんに任せてちゃんと育つのか。この子にとってどっちの親が幸せなのかと考え込んでしまいます。

アダと名付けられた羊の女の子は、妻にはもう自分の子供と同じでした。

だから妻は母羊を敵とみなし、撃ち殺してしまいました。

観ているこっちは不穏さでもう涙目。

そしてすくすく育っていくアダちゃんの可愛いこと。

二足歩行でとことこ歩き、まつげの長いつぶらな目で見つめ、長い耳をぴこぴこ動かし、ピンク色の鼻をふすふすと鳴らす彼女の姿はもうそういうキャラクターのように観客がすんなり受け止めてしまいます。

夫の弟が訪れ「いやいやいやいや、なにこれ。こんなの子供みたいに育てたらだめだろ。」と兄を説得しようとしますが、そのあまりにも可愛らしい様子に姪っ子として受け入れてしまう状態。

もっと不気味でクリーチャー的な造形だったら、観客も「なんだこの夫婦。」という正気でいられたのに、アダちゃんはとても可愛く、おとなしく、お行儀が良いのです。

服を着せるのに嫌がるそぶりをみせたり、食事をひっくり返して牧草をむさぼる姿を見せてくれたりすれば、「やはりこの子は人間ではないのだ。」と思えるものの、夫の弟に雑草を差し出され、おそるおそるかじっているところを「アダちゃんめっ! ぺっしなさい!!」と養父抱えられて「やぁん。」と泣きながらも激しく暴れたりしないのです。

羊よりも人間の子供のしぐさに近くて、段々と「この子は人間として暮らした方が幸せなのでは。」と思ってしまうのです。

しかし物語は徐々に不穏さを帯びていきます。

アダちゃんは自分の顔を鏡で見て「自分はパパとママとは違う。」と気づいているような困惑しているような雰囲気をしています。

そしてR15的に愛し合う夫婦を見て、観客は思うのです。

「この夫婦に子供が生まれたらアダちゃんはどうなってしまうのか。」

アダちゃんはこの夫婦のそばにいていいのかと思い始めたとき、物語は驚愕のクライマックスを迎えます。

その終わり方に誰もが驚愕。

観たことがない人にはぜひともパンフレットを買う前に観てほしいです。

 

この物語の結末は「因果応報」ともいわれますが、アダちゃん視点でみればこの物語は理不尽に親に振り回される子供の物語なのではないかと思います。

本当の親のもとで育つことが彼女にとって幸せだったのか。

アダちゃんは人間の夫婦に大切に育てられているように見えました。

彼女は傷ついた養父に寄り添ったり、心配しているようなそぶりを見せたのです。

物語の中盤まで、「この親の元で育つのが彼女にとって幸せだったのか」と不穏を感じていたのですが、いざ本当の親が彼女を連れていこうとすると、それが正しいことなのかと気持ちが揺れ動くのです。

勝手に人として育てられていたけど、その生活は快適に見えていたため、今度は過酷な環境のなかで生きなければならないのかと。

そんな暗澹たる気持ちになったのですが、パンフレットに寄稿している漫画家の板垣先生の「意思の疎通がとれているのかわからない」という感想を読み、アダちゃんにとってこの生活が本当は幸せだったと思うのは、あくまで私の感想にすぎないのだな、と思いました。

本当は服を着るのは嫌だったのかもしれない。

本当は草を食べたかったのかもしれない。

アダちゃんにとって服を着ない生活の方が快適なのかもしれないし、本当の親はアダちゃんを養親以上に愛して育ててくれるかもしれない。

そして成長した彼女は、本来の仲間と共に過ごす生活のほうが安心して暮らせるのかもしれないと。

 

映画のエンドロール後はアダちゃんのこれからを思って泣いてしまったのですが、別の席の鑑賞者が「あれを出すのは反則でしょう!」と叫んでいるのを聞いて、周りに誰一人泣いておらず、なんだか異端者のような気分になりました。

 

 

以下結末のネタバレ

この映画は終始不穏です。

妻マリアと夫イングヴァルがセックスしているシーンをはさむことで、この二人にこれから新しい子供ができたらアダちゃんはどんな目に遭うのかという不穏さを与えます。

さらに、マリアを誘惑するイングヴァルの弟、ペートゥル(ロクデナシ)。

この二人もしかしてすでに不倫関係だったのか?それとも元カレと元カノだったのか?関係を清算したからマリアは兄の方と結婚したのか?

アダちゃんという大きな不穏があるのにさらに不穏をぶつけないでほしい。

マリアはペートゥルを強制的にバスに乗せて追い出し、アダちゃんはイングヴァルと一緒に魚が採れているか見に行きます。

クライマックスが近づいてきたのに一家に平穏が戻ってきました。

しかし、戻ってきたマリアを迎えるのは銃声。

え? イングヴァル銃なんか持ってた? と記憶をたどりますがそんなもの持っていませんでした。

アダちゃんはどうなったのか。不安を抱く観客たちが固唾をのむ中、スクリーンに登場したのは、銃を構えた全裸中年男性だったのです。

そして観てわかる、この全裸中年男性はアダちゃんの血縁(パンフレットでは明確に父と表記されていました)。

夫婦の家の周りにあった不穏な存在感はこの全裸中年男性だったのです。

今まで夫婦の不穏さにばかり気を取られていた観客たちは「そんなのがこの山に生息していたなんて卑怯だろ!!」と思ってしまったことでしょう。

しかしこの作品、人間側の名前も聖書の人物たちですし、アイスランドの民話モチーフがちょこちょこと……日本人にはそれを複線だと見抜くの難しくない??

とにもかくにも、全裸中年男性は家に侵入し、銃を奪ったのでしょう。羊の畜舎にも入り込んでアダちゃんのお母さんと愛し合って(マイルドな表現)いたのですから。

彼が銃の使い方を知っているのは、アダちゃんの実母をマリアが殺害したのを見ていたからでしょう。

アダちゃんは、撃たれて血を流すイングヴァルに寄り添いますが、実父に手を引かれて山へと連れていかれてしまいます。

この映画では何度もアダちゃんが手を引かれて歩いていくシーンが出てきますが、その中でも最も不穏で恐ろしく見えます。

その時イングヴァルがつかんでいたのがアダちゃんの右手。

今までずっと、人と同じ形をしていた左手を掴んでいたのに、最後に彼は蹄になっている右手を掴んだのです。それも長く続かず、アダちゃんは連れていかれます。

イングヴァルは赤ん坊のようにアダちゃんを可愛がるマリアを見て、一人泣きました。

そして娘の名前を呼びながら探す悪夢を見ていました。

この夫婦はマリアの過激さが際立ちますが、イングヴァルも同じようにアダちゃんを自分の子供にしようとしたのです。

身勝手な夫婦が自分たちがしたように、本当の親にやりかえされただけ、と思うには、アダちゃんがあまりにも無抵抗で、夫婦を受け入れているように見えてしまいました。

しかしそれはあくまで人間側の見方なのかもしれません。

アダちゃんの実母は明確に子供を奪われた憎しみを夫婦に対して抱いていたのですから。

全裸中年男性からしても、夫婦が気づかないうちに生まれてくれるか、見た瞬間に気味悪がって捨てるかもしれないと思っていたのが、家の中で大事に育てだしたので「ちょいちょいちょーい!!!」と焦ったことでしょう。

失ったものをもとめて、本来あるべきものをゆがめてしまった夫婦の物語と思うと、人間のエゴを考えさせられる映画でした。

本作を観賞する方は、心してかかってください。

可愛い犬がむごたらしい姿になってしまうことに気分が落ち込みます。

そしてなによりつらい睡魔が必ず襲ってきます。

 

 

 

 

 

 

IMAXになって帰ってきた「ロード・オブ・ザ・リング」

全てのファンタジーの基礎となったと言われるJRRトールキン作の長編小説「指輪物語」。

2001年、ピーター・ジャクソン監督は映像化不可能といわれた指輪物語を映画化しました。

全世界にファンがいる指輪物語。下手を打てばとんでもない大惨事になりかねますが、原作を知らない多くの人を中つ国に旅立たせるほど大ヒットしました。

ホビットどれがどれか分かんねぇよと言われたり、とにかく歩くシーンが多い、と言われたりしましたが、多くの人が絶賛しました。

ロード・オブ・ザ・リング」と邦画も下手にいじらずにそのままのタイトルで公開したこともあり、日本でも多くの洋画ファンが沼に飲まれて行きました。

私が初めてロード・オブ・ザ・リングを劇場で観た時、前知識を何も仕入れずに挑んだため大変な衝撃を受けて帰りました。

3部作って知らなかったから中途半端に終わってびっくりしたのです。

しかしその素晴らしさに続きが気になり原作を読みました。

私の人生が色々狂い始めた時でした。

 

話は戻り、ロード・オブ・ザ・リングはいろいろ衝撃的な映画でした。

原作は挫折する人が多いほどカタカナ名が多いのですが、ピーター監督はなるべく必要な情報を絞り、でもキャラクターを殺さず、むしろ受け入れやすいように少し改変を加えました。

魔法使いのガンダルフ。エルフのレゴラスドワーフギムリ。騎士のボロミア。謎多き旅人アラゴルン。指輪の担い手のフロド。そして彼のためについてきた三人の勇敢なホビット

目的は敵陣の真っただ中にある火山へ指輪を捨てに行くこと。

ホビットは基本的に畑を耕し、畜産を行い、一つの場所に定住します。食べることが何より好きで、朝ごはん、朝のおやつ、昼ご飯、昼のおやつ、夕ご飯、夜食と六食食べます。ホビットは基本的に旅に出ません。旅に出るホビットは変わり者として変人扱いを受けます。

ホビットのフロドがどうして過酷な旅に出かけることになったのか。

フロドの親類、ビルボが旅先から持ち帰った指輪が、世界を支配しようとするサウロンの指輪を偶然にも拾ってしまったからです。

本来なら指輪の力に飲まれてしまうところ、あまりに善良すぎたため指輪は長いことどこにあるかわからない状態でした。

ビルボは長い間隠してきましたが、蝕まれていたことには変わらず、彼は村を出てエルフに保護されることになります。

しかしついにサウロンにも気づかれ、フロドはガンダルフの導きにより指輪を葬る旅に出ることになるのです。

当時ハリー・ポッターと賢者の石が公開されてなにかと比較対象にされましたが、メガホンをとったのがピーター・ジャクソン監督でなければとんでもない敗退を迎えていたであろう本作。

それがIMAXになったとあれば、あの日の私なら劇場が限定すぎて観に行けないことに涙で枕を濡らしたでしょう。

でも今の私はネットで席を予約してわくわくしながら劇場にスキップで向かうだけです。

つきましたのは池袋にあるシネマサンシャインの最上階。景色がすでにサウロンに支配されつつある中つ国のような不穏な空模様ですが気にしてはいられません。

A3サイズの入場特典ポスターをもらって座席に付きます。

IMAXの音響がとても素晴らしいんですよという説明を受けてからこれまでのあらすじが流れ、ホビット村ののどかな光景と共に本編が始まります。

主人公のフロドはイライジャ・ウッドが演じています。

原作では齢50を超える中年ホビットですが、イライジャ・ウッドが演じると可愛いさと純粋さの中に、知性を感じる魅力的な主人公になります。

カメラワークとスタントをうまく活用して、俳優たちの背丈はそんなに変わらないのに「ホビットはですねぇ!小っちゃくて可愛いんですよぉ!!」としっかり説明してくれます。

記憶の何倍もフロドが小さくて可愛い。

サムも記憶の何倍も純朴で可愛い。

メリーは記憶よりもちょっとイケメン。

ピピンは記憶よりも愛嬌があってバ可愛い。

ガンダルフが記憶よりもホビットのこと好きな気持ちが隠しきれてない!

イアン・ホルムのビルボが思ったよりもマーティン・フリーマンのビルボそっくりだ……マーティンすげぇ!!

と二十年以上前の自分と答え合わせしながら眺めます。

追手からなんとか逃げ延びて警戒心に満ちたフロドたちは、ガンダルフに会うために酒場に行くのですが、そこで店の端にいる怪しげな男の視線に気づきます。

もうこの登場のし方だけで好きになります。

ガンダルフの代わりに待っていたのはガンダルフの友人、アラゴルン。この時彼は名前を明かさず、ストライダーという呼称だけがフロドたちに与えられた情報です。見てくれが怖いしうさんくさいしオーラも怖いし敵か味方かわからない。

演じるのはヴィゴ・モーテンセン。実は別に決まっていた俳優から急遽抜擢されたという逸話のある俳優ですが、「嘘でしょ……こんなに怪しさとうさん臭さと泥臭さの中に、慈愛と善良さをのぞかせる人が代役? 」と感じたものです。

ストライダーは追手に追われているのに二回目の朝食を食べようとするホビットに「ちょっと言ってる意味がわからない……。」と引きながらも、リンゴをくれたりします。優しい。

そしてなんやかんやあってエルフのお屋敷で人間、エルフ、ドワーフが集まって会議をするのですが、もうてんやわんや。戦争につかおうぜ! ふざけんなこんなもん廃棄一択だろ! エルフが仕切るな! と話がまとまりません。死にかけてやっと家に帰れると思っていたフロドは、僕が捨てに行きますと挙手をするわけです。

この時のフロドが本当に小さくて可哀そう。

サウロンの指輪はとても危険なものなのですが、ビルボやフロドがひょいっと持っているのでどの程度危ないものなのか……と思っているとガンダルフは一切指輪に触れていないことに気づきます。

ビルボが手放すことができず、床に落として言った指輪を触りもせず、気づいたフロドがひょいっと拾っても自分からは確認しようとしません。

指輪はそこにあるだけでどんどん周りの人をむしばんでいきます。

ガンダルフをモリアの坑道で失い、フロドの心はすり減ってぼろぼろですが、それでも旅は続きます。

指輪を手に入れればサウロンに匹敵するのではと言われているガラドリエル夫人が出てきます。

見た目は美しいし上品なのに、そこに漂うのは明らかに「得体のしれない」強者感。彼女に見つめられたボロミアは滝汗ですし、エルフ嫌いなギムリはその美しさに茫然としています。

フロドはワンチャン、ガラドリエル夫人がもらってくれないかなと指輪を差し出しますが、ガラドリエル夫人がめちゃくちゃ怖くなった後に「試練に打ち勝ちました……。」とすっきりした顔をしました。

彼女にとっては大事なことですが、勝手に試練にされてしまった上結局指輪をもらってくれなかった小さくて可哀そうなフロドはげっそりしながら旅を続けます。

IMAXでもカットされていましたが、ギムリガラドリエル夫人に御髪を一本いただけないかお願いしたら三本もらえたとウキウキしているシーンがあります。この失うものが多い旅で小さな幸せを見つけたギムリの貴重なシーンはDVDでぜひとも観てほしいです。

そして訪れる旅の仲間の最大の試練。

フロドは大きな決断をせまられます。

二十年経っても色あせない感動の一部ラスト。フロドは絶望の旅に向かい、アラゴルンたちは攫われたメリーとピピンを救うためにマラソンを始めます。

さて、この先はサブスクでもレンタルビデオでも観ることができますが、10月にIMAXで公開されます。

余裕と機会のある人は、あの素晴らしい光景を大きなIMAXで観ていただきたいです。

意外な彼がフロドたちの仲間に加わったり、新たな推しが見つかったりします。

唯一気を付けるのは己の膀胱の限界だけ。

私、劇場で通路側に座っていたんですが、今まで見たい映画の中で一番多くの人がトイレに席を立つのを見ました。

皆さん席選びにも気を付けてくださいね。

 

 

 

 

 

 

最悪の奇跡と動物の絆と胸熱くなる兄妹の物語「NOPE/ノープ」

NOPE。日本人にはなじみのない言葉ですがニュアンス的には「ありえない」という信じたくないものに遭遇した時に発する言葉とのこと。

凡人ならもっと別の解りやすいタイトルをつけたくなりますが、知る人ぞ知るジョーダン・ピール監督はこの作品に「NOPE」と付けました。

ミッドサマーのアリ・アスター監督も観賞中に思わず言ってしまった「NOPE」。

クソださ邦題を付けられることなく、原題のまま「NOPE/ノープ」と付けられ日本にやってきた最悪の奇跡の物語。

ジョーダン・ピール監督の一作目は「ゲットアウト」は、「どこ観ても伏線がある!!」と考察廚にさながらウォーリーを探せに夢中になる子供のように気持ちよい伏線回収を与えてくれました。

「そんな頭使いそうな映画やだ。」

というイメージを持った方もいるかもしれませんが、NOPEは普通に、頭空っぽにしてみても、怖い映画でした。

怖い映画苦手な人が見たら雲のある空の下を歩きたくないレベルで後ひく怖い映画でした。

「NOPEは怖いのが苦手な人でも観れるよ!」

という人もいますけど、観れると怖くないは別の問題だということを教えてくれる作品でした。

NOPEには直接的に人が傷つけられるシーンはほぼないんですけどね、想像力を駆り立てる見せ方が本当にすさまじくうまい。

「え……じゃああの音って人が……。」

と想像したらもう嫌な気持ちでいっぱいになるシーンがもりだくさん。

しかしそれだけで終わらないNOPE。

圧倒的な脅威に立ち向かう兄と妹とディスカウントストアの店員の姿は見ていてハラハラドキドキ。

そして予告でもチラ見せされたあの作品のオマージュ。

ホラー苦手だけど考察大好きな人には文句なく楽しめる映画です。

 

以下ホラー部分のネタバレ

NOPEの主役といってもいいのが、雲に隠れた得体のしれない存在。仮称「Gジャン」。

最初は古来から使われてきた円盤スタイルの飛行船なのかと思ったのですが、主人公のOJは「あれ……生き物かよ……。」と気づきぞっとするわけです。

え、あれ生き物??としばし驚きますが、納得する行動パターンがあります。

木馬を本物の馬と気づかず食べてしまうのはルアーにひっかかる魚のようです。

手足がないので口ですーんと食べ物を吸い上げるわけです。

Gジャンの食べ物は馬や人間等の生き物です。

服やガーラントや木馬や車椅子なんかは消化できません。吐き出します。

大雑把に食べ過ぎて気持ち悪くなった時は吐き戻します。

進撃の巨人の巨人は消化できないので人間も吐き戻しますが、Gジャンはひっかかった無機物とそれにまざった体液を履き戻すくらいです。

このシーンが本当に最悪すぎてもう見ているほうも戻しそうです。

そしてこの作品の主人公たちとはほぼほぼ関わりないのですが、意味深に挟まれるチンパンジー

日本でもおなじみの動物タレントですが、その筋肉は人間の顔も簡単にもぎ取ります。チンパンジーにかかれば人間の肉体はちぎり蒸しパンのごとくもぎ取られます。

撮影中に風船の破裂する音に驚いてパニックになったチンパンジーが襲い掛かり、血まみれになったシーンはどれほどおぞましい状況なのかと、自分の想像力こそが恐怖だと教えてくれます。

そこに意味深に直立したサンダル。

もうこの先何が起きても不思議じゃないと思わせてくれる導入です。

二度と観たくないと思いつつ、ツイッターで考察を見るとまた観たくなるNOPE。

ちなみにIMAX版をお勧めする人が多いのですが、個人的にはクライマックスのあれとかIMAXで観るのに勇気がでませんでした。

 

 

 

 

映画ゲストと思ったらガチヒロイン「ワンピース/FILM Red」

ワンピース/FILM Redの予告を初めて見た時、歌手なのだろうということとは察しましたが、拳を握った横顔が勇ましくて女の子とは思いませんでした。

しかし出てきたのは「シャンクスの娘」「ルフィの幼馴染」「世界の歌姫」という「夢小説」という単語を知っている人が見た瞬間に「あいたたたたたた!!」と昔の古傷を抑えてしまうような設定。

かくいう私は「えらいこっちゃ……戦が始まる……。」と公開前から不安にかられました。

世界的人気漫画に突然はえてきた幼馴染の美少女。

しかも歌声担当が「うっせぇわ」でキッズから大人まで思わず口ずさんでしまう名曲を出した新時代の歌姫Adoさん。

Adoさんが、こんな可愛い「こんにちは~ウタだよ~☆」みたいな女の子の歌声担当するなんて、観る前から嫌な予感がする事前情報。

そして公開が近づくにつれてどんどん出てくる楽曲担当者。

若者に人気のアーティストからオタクが大好きな作曲家まで……え、FAKE TYPE.?? 何故???? え”!!!???

そんな何が何やらわからない次元に突入していきました。

公開前からは「こんな設定映画限定のゲストキャラでだして大丈夫か尾田っち。」「人気歌手を入れれば売れるなんて見通しが甘いんじゃないか」とファンがハラハラする中公開された映画。

劇場に足を運び、劇場を後にしたものは「甘かったのは自分たちの方だった……。」と沈痛な面持ちで語るのです。

そしてあるものは語ります。

映画の真のヒロインはシャーロット・ブリュレだったと。

まだ映画を観ていない人になるべくネタバレなしで伝えるなら、本作「ウタ」は映画のゲストキャラではなく、映画の主人公と言っても過言ではない存在だったということ。

映画を観れば誰もが「これはうっせぇわのAdoさんじゃないといけなかった。」と思えるような存在だということ。

そして、彼女は間違いなく尾田先生が生み出したワンピースのキャラクターだということ。

「誰がここまでやれと言った……。」

とウタの魅力に心に傷を負う人まで続出。

どうすればよかったのか。

アニメオリジナルストーリーのゲストキャラでよくある、ラスボスに操られてとか、騙されてとか、そういった逃げ道を信じていたんです。

冒頭の「私の歌で皆を幸せにする!」を、夢と希望を信じるキラキラしたヒロイン特有のまぶしさから発する言葉だと思っていたかったんです。

違うんですよ。

ウタは追い詰められていたとはいえすべて自分で決断し、彼女の善性の信念をもって行動したんです。

彼女の不幸は、彼女の罪悪感を認めてそばにいてくれる人がいなかったこと。

自分の責任ではなくても、彼女の価値観ではそれは罪であり償わなければいけないことであり、逃げ出したいほど怖いものだったのです。

しかしウタの二人の父親は二人とも、そんな出来事を彼女に忘れてほしかった。幼いウタには罪のないことで、前を向いて歌い続けてほしかった。そんな優しさのすれ違いが結果的にウタという少女を苦しめて、選択をさせてしまった。

 

映画限定のヒロインに追わせていい業じゃない!!

 

人類の7割が射程範囲って……進撃の巨人のエレンが最終的に滅ぼした人類が8割!あの指パッチンおじさんことサノスでさえ5割だったのに……。

 

今回の作品は「ワンピース映画ではない」けれど「間違いなくワンピースの作品」という異常な映画でもあります。

ワンピース初心者も、ワンピース玄人も、あまりにもな情報量に発狂間違いない本作。ぜひともワンピースを愛するすべての人にみていただきたい作品です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネタバレなしで言うなら、すでに公開されているMVのウタカタララバイを観てから行くと「ちくしょう!映画なのに容赦なくやりやがった!!」という気持ちになります。

 

死別の苦しみを描く「ソー:ラブ&サンダー」

※結末についてのネタバレが含まれます。

 

MCUのコメディ担当、タイカ・ワイティティ監督が担当したマイティー・ソーシーリーズの四作目にあたる「ソー:ラブ&サンダー」。タイトルを観た時に「はいはい、サンダーは雷神のソーでラブは元カノジェーンね。」と思わせておいて「とんだ愛の物語だった……。」と観た後空を見上げたくなるような作品でした。

タイカ・ワイティティ監督はMCUだけでなく、デッドプールが「暗い奴だな。さてはお前DC出身だな」とこするライバル会社のDC作品も手掛けたりしています。

そんな監督が打ち出した本作はジェットコースターに乗っているような感情の起伏の激しい作品でした。

まず冒頭で本作のヴィランの誕生が描かれるわけです。

バットマン至上最も重厚で美しいブルース・ウェインを演じた、クリスチャン・ベールです。あのイケメンが見る影もないからっからに乾いたゾンビみたいな外見になります。

本作のヴィラン、ゴアがヴィランになる前は、安住の地を求めて幼い娘を抱えて砂漠をさまよう一人の父親でした。

何度神に祈っても救いはなく、最後に娘は父の腕の中で「疲れた」と言って息を引き取るわけです。

「おなかが空いた」でも「のどが渇いた」でもなく、そんなことも感じられないほど疲弊しきった娘を抱いて響くゴアおじさんの慟哭は思い出しただけでも泣けてきます。

来世の幸せを信じて神に祈ったのに、その神に「来世なんてない。」「信者は他にもいる。」と否定され、ゴアおじさんはすべての神を殺す神殺しの道を歩むわけです。

そして場面は変わり、今までのソーのダイジェストです。

あれほど悲しい死別を見せておきながら、数秒ごとに死んでいくソーの仲間がダイジェスト放送。

弟のロキは三回くらい死んでます。

日本が誇る名優浅野忠信が演じるホーガンの時だけ「こいつ知らね」とナレーションされ、ポップコーンをスクリーンにぶつけたい気持ちをぐっと抑える、日本の鑑賞者は多かったのではないでしょうか。

ダイエットに成功したソーはGotGのみんなと別れて、身体が岩石でできたクロナン人のコーグと、ものすごくうるさいヤギ2頭と一緒に神殺しのゴアおじさんを追いかける旅に出ます。

ちなみにコーグはご両親が二人ともお父さんで、クロナン人は男性同士も溶岩の上で手をつないで一緒にいると子供をつくることができるそうです。とてもロマンチックです。

ドクター・ストレンジMOMに出てきたアメリカちゃんのお母さんたちも、湖の上で手をつないだりしてたのでしょうか。とてもロマンチックです。

その頃、ソーの元カノジェーンは、癌にむしばまれていました。

ステージ4の絶望的な状況で、彼女は粉々になったソーのハンマーに呼ばれ、二人(?)で新しいソーとして活躍していました。

この二人の再会で、物語に「元カノとよろしくやっているハンマーにちくちく未練たらしく嫌味を言うソーの背後にそっと現れる新しい相棒の斧」という複雑な四角関係ができあがるわけです。

MCUはストレンジ先生のマントといい、物言わないのにクセの強い無機物キャラが魅力的です。

ゴアおじさんは新アズガルドで子供たちを攫い、無意味に子供たちを怖がらせたりしながらモノクロの世界へ行きます。

ソーは元カノとアズガルドの国王ヴァルキリーを連れてゴアおじさんを追いかけます。

神の代表、神OF神のゼウスに助けを求めるのですが、全裸にされてしまいます。

ゼウスに援助を断られましたが、ぽよぽよのラッセル・クロウのチアリーディーングを観ることができました。でも怒ったゼウスはコーグをばらばらにしてしまい、コーグは顔面だけになってしまいました。

ゴアおじさんをやっつけるために、とりあえずゼウスの持ち武器を借りる、というか強奪します。

ここでゼウスの連れていた美女の手の甲を取り、キスをするヴァルキリーという、ヴァルキリー夢女子を量産する以外に必要性がないシーンが挟まれます。

この一瞬だけ何の映画を観ているのかわからないくらい胸がときめいてしまった人も多かったのではないでしょうか。

なんやかんやあってゴアおじさんの手に踊らされてしまったソーは、腎臓をやられたヴァルキリー、癌のぶりかえしで倒れたジェーンを連れて地球に戻ります。

別れたのに、ジェーンの命があとわずかと知り、とてつもない悲しみのあまり自動販売機を殴りつけるソー。

手紙一つで別れたジェーン。

三部作には振られたというセリフだけで一度も出てこなかったナタリー・ポートマン

でも彼女が死んでしまうとなると、ソーはその絶望と悲しみで、彼女が望んでも一緒にゴアおじさんをやっつけに連れていくことはできませんでした。

あれだけ仲間の死をダイジェストで描いていたのに、本作では「死別」の苦しみ、悲しさ、残される方の絶望を克明に描くのです。

本作は、家族の愛、恋人との愛、仲間たちとの愛、そして親子の愛を描いています。そしてその愛を失くすことの苦しみ、切なさ。

まるで「死ぬことよりも生きることのほうが切なく苦しい」と語る様に。

なるほど、最初の雑な死亡シーンダイジェストにはそういう意味が……。

いや、ホーガンに雑なナレーションを付けたことは許しませんからね???

果たしてゴアおじさんから子供たちを救い出すことはできるのか。

そしてジェーンとソーの結末は。

ぜひともハンカチと一緒に劇場に行ってほしいです。

 

ちなみに本作、あちこちに中の人のご家族や友人が出演しています。

幼い頃のソーは、ソーの中の人クリス・ヘムワーズの御子息です。劇中劇でソーを演じるのは中の人のお兄さん。そして、ロキを演じるのは友人マット・デイモンマット・デイモンの無駄遣いも愛だから許されるのです。

さらに作中で中の人の奥様やご息女も出ているとのことなので、ぜひとも探してみてください。

なんていうか、某サメ有名映画レビュワーの方が名付けたワスカバジシステムに近いものが搭載されてます。

しかし、身内をかき集めたからこその、スクリーンにもにじみ出る愛が込められているのです。

 

以下結末のネタバレ

本作は、神に見捨てられたゴアおじさんが、神に復讐する物語でした。

ゴアおじさんは大切な、自分がどんなに苦しんでも失いたくなかった娘を失ったのです。

ゴアおじさんは神殺しの剣にむしばまれ、剣を手放せばすぐに死んでしまいます。

自分の寿命はいらないのです。

自分たちの祈りに応えず、救わなかった神を全て殺すこと以外、自分の命の意味がないのです。

しかし、すべての神を殺そうと願おうとしたときに、ソーに言われて立ち止まるのです。

本当の願いは復讐ではなく、娘の幸せだった。

願えば娘が戻ってくると知ったゴアおじさんは、憎しみのためではなく娘のために躊躇します。

もう自分には寿命がない。

娘にも孤独を味合わせるのか。

神殺しの娘としられたら迫害され、追われるのでは。

生き返らせた娘はまた惨い目に遭うのでは。

もうゴアおじさんの頭の中は娘のことでいっぱいです。

そんなゴアおじさんにソーとジェーンが「一人にしない」というのです。

ゴアおじさんの信じた神は、ゴアおじさんを救ってはくれませんでした。

けれど雷神のソーが、ゴアおじさんを救ってくれたのです。

そしてジェーンは光の粒になって消え、ソーは彼女の意志を尊重します。

結末では、コーグは実家に帰り、ボーイフレンドと共に子供を作り、ヴァルキリーは戻ってきた子供たちに戦い方を教えます。

そしてソーは新しい仲間と共に、平和を守るため旅に出るのです。

ラブ&サンダーのタイトル回収も済ませて、MCUのエンディングの後の次回予告もはさみ、幕を閉じます。

 

ちなみに私は作中もっとも存在感のあった、もっともどうでもいい二頭のヤギがどうなったのか覚えていないので、もう一度観に行こうかと思っています。

 

 

 

 

 

呪いが解ければ幸せとは限らない「犬王」

森山未來と女王蜂のアヴちゃんが主人公を務める、ファンタジー能楽エンターテイメント作品「犬王」が公開されました。

私は平家物語は壇ノ浦の合戦の下りくらいしか把握していないのですが、それでも十分楽しめました。

ただ、思ったよりもバイオレンスでした。そこもまた時代劇的。

森山未來さんは割と幅広い年齢の方がご存じかと思うのですがと女王蜂のアヴちゃんさんはご存じない方もいるかと思います。

女性的な美しい高音と男性的な重厚な低音の歌声をもつ歌手として根強い人気のある方なのです。

犬王は実質この二人のライブでした。

映画館の音響で聞く二人の歌声は映画を観に来たのかライブを観に来たのか一瞬忘れてしまいます。

二人の野外ライブを生で観れた観客たちがうらやましい。私も生で観たかった……。

友魚は琵琶法師ですが髪を伸ばし、女性物の着物を着て、化粧をしています。どうりでなんかきれいになったと思った。

犬王アヴちゃんが酒瓶を口元に持って行くのですが、二人はこうしていつも飲ませたり飲ませてもらったりしてたんだなとわかる息のぴったりさ。そして酒瓶の口元につく口紅のなまめかしさ。

歯並びはそのままなのが逆にリアル。皆で拳を合わせるシーンでは犬王の動きについていけないところが「あ、みんな目が見えないんだな……。」と気づきます。

 

中の人のファンなら、推しのライブと思って文句なしに楽しめると思います。

 

では映画としてどうなのか。

映画として。

正直な感想を言うと、映画としては人を選ぶ作品です。

キャラクターデザイン。ピンポンや鉄コン筋クリートで名高い松本大洋先生が携わっています。素朴で温かみのある絵柄ですが、映画ではどこか生々しく、アニメというよりは実写に近いのです。

そしてストーリー。

原作を未読なのであくまで映画だけの感想になるのですが、この映画の中の主人公、犬王と友魚は、幸せな結末を迎えたわけではないのです。

 

まず友魚。

平家の宝を見つけてしまったばかりに、権力者にいいように扱われ、父を失い、視力を失い、母の死に目にも会えませんでした。

彼の父は「名前を変えるな」と言い続けますが、友魚はその時に合わせて自分の名前を変えます。その名前はどれも彼にとって大切なものでしたが、名前にしがみついた彼は無惨な最期を遂げ、結局彼が最後に名乗ったのは自分が生まれた時に持っていた名前でした。

そして犬王。

生まれた頃から醜く人間とは思えない姿かたちに生まれてしまった彼は、名前も与えられず犬のように地べたを這い、地べたで眠っていました。

舞うごとに彼の身体は人に近づいていき、最後には人に戻れたのに、友魚を失ってしまいます。画面に映る彼は面をかぶっていた時よりも生気のない、能面のような表情でした。彼の生涯はこれからもつづいていきますが、映画の中で見せる素顔は幸せとはいいがたいのです。

逆境を乗り越えて昇り詰めたはずの二人に訪れた、別れと悲しい結末に、観終わった後は何とも言えない、良かった、だけでは済まない、心がしくしくするような気持ちになります。

 

本作では、二人の物語が結局は権力者の都合で握りつぶされるという展開になっています。

友魚に希望を見せてくれた物語が、犬王の呪いを解いてくれた物語が、自分の治める世には不要だと足利義満に消されてしまうのです。

物語に救われてきた者にとって、これほどつらい展開はないかと思います。

これまでの二人の頑張りに胸熱くしていた観客はげっそりとした顔で終盤を観なければなりません。

今まで歴史の教科書くらいでしか認識していなかった足利義満のことものすごく嫌いになりましたもん……。

しかし同時に、歴史にちらとしか名前のない「犬王」と、彼の声を多くの人に届けるために奔走した友魚の絆を確かに感じるストーリーと、アニメならではの幻想的な能の舞台が美しく、忘れられない作品になることは間違いないのです。

 

さて、この映画。

キャラクター担当の松本大洋先生ファンと湯浅監督ファンには大変好評であり、ファンアートがたくさん描かれています。

そしてこの作品、ファンアートや感想を求める人たちを大いに悩ませることになります。

そう、検索ワードです。

友魚は物語が進むにつれて、友一、友有と名前を三つ持っているのです。

「名前を変えちゃいけんー!!」と友魚のお父さんが死んでも気にしていた友魚の名前複数所持問題。

犬王も死後も友魚を探し続け、彼の魂を見つけるまでに大変時間がかかるのです。

名前を変えたばっかりに。

そんな犬王の気持ちを疑似体験できる同行の志探し。

そこまでしてみたいのかと言われれば、みたいのです。

こちとら作者さんが自作のホームページに隠した隠しリンクを探すことに青春を費やした身。名前検索だけで見つけられるのであればむしろありがたいのです。