三十路からのデスマーチ

何気ない日常がもしかしたら誰かの役に立つかもしれない。

呪いが解ければ幸せとは限らない「犬王」

森山未來と女王蜂のアヴちゃんが主人公を務める、ファンタジー能楽エンターテイメント作品「犬王」が公開されました。

私は平家物語は壇ノ浦の合戦の下りくらいしか把握していないのですが、それでも十分楽しめました。

ただ、思ったよりもバイオレンスでした。そこもまた時代劇的。

森山未來さんは割と幅広い年齢の方がご存じかと思うのですがと女王蜂のアヴちゃんさんはご存じない方もいるかと思います。

女性的な美しい高音と男性的な重厚な低音の歌声をもつ歌手として根強い人気のある方なのです。

犬王は実質この二人のライブでした。

映画館の音響で聞く二人の歌声は映画を観に来たのかライブを観に来たのか一瞬忘れてしまいます。

二人の野外ライブを生で観れた観客たちがうらやましい。私も生で観たかった……。

友魚は琵琶法師ですが髪を伸ばし、女性物の着物を着て、化粧をしています。どうりでなんかきれいになったと思った。

犬王アヴちゃんが酒瓶を口元に持って行くのですが、二人はこうしていつも飲ませたり飲ませてもらったりしてたんだなとわかる息のぴったりさ。そして酒瓶の口元につく口紅のなまめかしさ。

歯並びはそのままなのが逆にリアル。皆で拳を合わせるシーンでは犬王の動きについていけないところが「あ、みんな目が見えないんだな……。」と気づきます。

 

中の人のファンなら、推しのライブと思って文句なしに楽しめると思います。

 

では映画としてどうなのか。

映画として。

正直な感想を言うと、映画としては人を選ぶ作品です。

キャラクターデザイン。ピンポンや鉄コン筋クリートで名高い松本大洋先生が携わっています。素朴で温かみのある絵柄ですが、映画ではどこか生々しく、アニメというよりは実写に近いのです。

そしてストーリー。

原作を未読なのであくまで映画だけの感想になるのですが、この映画の中の主人公、犬王と友魚は、幸せな結末を迎えたわけではないのです。

 

まず友魚。

平家の宝を見つけてしまったばかりに、権力者にいいように扱われ、父を失い、視力を失い、母の死に目にも会えませんでした。

彼の父は「名前を変えるな」と言い続けますが、友魚はその時に合わせて自分の名前を変えます。その名前はどれも彼にとって大切なものでしたが、名前にしがみついた彼は無惨な最期を遂げ、結局彼が最後に名乗ったのは自分が生まれた時に持っていた名前でした。

そして犬王。

生まれた頃から醜く人間とは思えない姿かたちに生まれてしまった彼は、名前も与えられず犬のように地べたを這い、地べたで眠っていました。

舞うごとに彼の身体は人に近づいていき、最後には人に戻れたのに、友魚を失ってしまいます。画面に映る彼は面をかぶっていた時よりも生気のない、能面のような表情でした。彼の生涯はこれからもつづいていきますが、映画の中で見せる素顔は幸せとはいいがたいのです。

逆境を乗り越えて昇り詰めたはずの二人に訪れた、別れと悲しい結末に、観終わった後は何とも言えない、良かった、だけでは済まない、心がしくしくするような気持ちになります。

 

本作では、二人の物語が結局は権力者の都合で握りつぶされるという展開になっています。

友魚に希望を見せてくれた物語が、犬王の呪いを解いてくれた物語が、自分の治める世には不要だと足利義満に消されてしまうのです。

物語に救われてきた者にとって、これほどつらい展開はないかと思います。

これまでの二人の頑張りに胸熱くしていた観客はげっそりとした顔で終盤を観なければなりません。

今まで歴史の教科書くらいでしか認識していなかった足利義満のことものすごく嫌いになりましたもん……。

しかし同時に、歴史にちらとしか名前のない「犬王」と、彼の声を多くの人に届けるために奔走した友魚の絆を確かに感じるストーリーと、アニメならではの幻想的な能の舞台が美しく、忘れられない作品になることは間違いないのです。

 

さて、この映画。

キャラクター担当の松本大洋先生ファンと湯浅監督ファンには大変好評であり、ファンアートがたくさん描かれています。

そしてこの作品、ファンアートや感想を求める人たちを大いに悩ませることになります。

そう、検索ワードです。

友魚は物語が進むにつれて、友一、友有と名前を三つ持っているのです。

「名前を変えちゃいけんー!!」と友魚のお父さんが死んでも気にしていた友魚の名前複数所持問題。

犬王も死後も友魚を探し続け、彼の魂を見つけるまでに大変時間がかかるのです。

名前を変えたばっかりに。

そんな犬王の気持ちを疑似体験できる同行の志探し。

そこまでしてみたいのかと言われれば、みたいのです。

こちとら作者さんが自作のホームページに隠した隠しリンクを探すことに青春を費やした身。名前検索だけで見つけられるのであればむしろありがたいのです。