可愛さと不穏さと眠気との戦い「LAMB/ラム」
先に言います。
この映画は犬がとても可愛いのですが犬好きの方にはおすすめできません。
羊好きの方は予告を観て観賞を決めてください。
不穏な予告と公式ツイッターが出す可愛いアダちゃんの画像に「これはいったいどんな映画なんだ」と不安を抱かせる映画、「LAMB/ラム」が公開されました。
海外勢や試写会に参加した人の感想がすでに公開され「寝る。」というコメントもちらほらありました。
この不況の時代に2000円近い観賞料金を払って寝る者などいないだろうと、私も公開日に観てきました。
両サイドの方が開始十分で寝息を立て始めました。
彼らのために弁明させてください。
冒頭十分ほど、まーあのどかなアイスランドの素晴らしい山と自然の音と、会話はないけれど互いに愛情を持っているのを感じる、夫婦の何気ない日常が流れるのです。
夫は羊の世話をし、妻はトラクターのような農具で畑に向かい、可愛らしい愛犬がしっぽをパタパタ振ってついて回り、毛ヅヤの良い愛猫が窓辺に佇む。
寝る。
これは寝る。
最初こそ、なにか不穏なものが羊たちのいる畜舎にやってきたのを思わせるのですが、それ以後ほぼ会話のない夫婦の日常を見せられるのです。
私は幸い羊が好きなので、両サイドの寝息というBGMを聞きながらもどこか不穏なこの映画を見守ります。
そして異変がやってきます。
愛犬の鳴き声に夫婦は臨月の羊の元へ行きます。
産気づいた羊に、いつものように産婆をする夫婦。
そして生まれたなにか。
予告をさんざん見てきた側からすれば「彼女だ」と察しますが、ここまででまだ観客が見えるのは子羊の顔だけなのです。
何も前知識がなければ、妻がとち狂って子羊をなぜか自宅で育て始めたように見えます。
愛し気に抱き上げ哺乳瓶で子羊にミルクを与える妻を見た夫は、一人トラックで泣くのです。
子羊を産んだ母羊は、自分の子羊がいないことを夫婦に訴えるように鳴きます。助演賞ものの演技です。
しかし二人は無視します。
夫はしまい込んでいたベビーベッドを引っ張り出し、子羊はベビーベッドで眠ります。
ここでやっと、シルエットで「羊の頭をした赤ん坊」であることが観客にも伝わります。
こういった物語の場合、どっちかは「いや、これおかしい。」とパートナーを制する方向になりますが、この夫婦は羊の頭をした赤ん坊を我が子のように慈しみだすのです。
母羊は許しません。
ベビーベッドのある部屋の外まできて、何かを訴えるように鳴きます。
妻は母羊を追い払いますが、窓の向こうにいる赤ん坊も何かを察しているようです。
母羊は自分の子供が奪われてしまうと察し、赤ん坊を連れてどこかへ行こうとしますが、人間の夫婦に見つかってしまい、子供は取り返されてしまいます。
この時、この赤ん坊の身体がほとんど人間のように体毛におおわれておらず、それこそ頭と右手以外は人間であることがわかります。
これはとても微妙です。
ほぼ8割は人間。
でも2割くらいは羊。
羊のお母さんに任せてちゃんと育つのか。この子にとってどっちの親が幸せなのかと考え込んでしまいます。
アダと名付けられた羊の女の子は、妻にはもう自分の子供と同じでした。
だから妻は母羊を敵とみなし、撃ち殺してしまいました。
観ているこっちは不穏さでもう涙目。
そしてすくすく育っていくアダちゃんの可愛いこと。
二足歩行でとことこ歩き、まつげの長いつぶらな目で見つめ、長い耳をぴこぴこ動かし、ピンク色の鼻をふすふすと鳴らす彼女の姿はもうそういうキャラクターのように観客がすんなり受け止めてしまいます。
夫の弟が訪れ「いやいやいやいや、なにこれ。こんなの子供みたいに育てたらだめだろ。」と兄を説得しようとしますが、そのあまりにも可愛らしい様子に姪っ子として受け入れてしまう状態。
もっと不気味でクリーチャー的な造形だったら、観客も「なんだこの夫婦。」という正気でいられたのに、アダちゃんはとても可愛く、おとなしく、お行儀が良いのです。
服を着せるのに嫌がるそぶりをみせたり、食事をひっくり返して牧草をむさぼる姿を見せてくれたりすれば、「やはりこの子は人間ではないのだ。」と思えるものの、夫の弟に雑草を差し出され、おそるおそるかじっているところを「アダちゃんめっ! ぺっしなさい!!」と養父抱えられて「やぁん。」と泣きながらも激しく暴れたりしないのです。
羊よりも人間の子供のしぐさに近くて、段々と「この子は人間として暮らした方が幸せなのでは。」と思ってしまうのです。
しかし物語は徐々に不穏さを帯びていきます。
アダちゃんは自分の顔を鏡で見て「自分はパパとママとは違う。」と気づいているような困惑しているような雰囲気をしています。
そしてR15的に愛し合う夫婦を見て、観客は思うのです。
「この夫婦に子供が生まれたらアダちゃんはどうなってしまうのか。」
アダちゃんはこの夫婦のそばにいていいのかと思い始めたとき、物語は驚愕のクライマックスを迎えます。
その終わり方に誰もが驚愕。
観たことがない人にはぜひともパンフレットを買う前に観てほしいです。
この物語の結末は「因果応報」ともいわれますが、アダちゃん視点でみればこの物語は理不尽に親に振り回される子供の物語なのではないかと思います。
本当の親のもとで育つことが彼女にとって幸せだったのか。
アダちゃんは人間の夫婦に大切に育てられているように見えました。
彼女は傷ついた養父に寄り添ったり、心配しているようなそぶりを見せたのです。
物語の中盤まで、「この親の元で育つのが彼女にとって幸せだったのか」と不穏を感じていたのですが、いざ本当の親が彼女を連れていこうとすると、それが正しいことなのかと気持ちが揺れ動くのです。
勝手に人として育てられていたけど、その生活は快適に見えていたため、今度は過酷な環境のなかで生きなければならないのかと。
そんな暗澹たる気持ちになったのですが、パンフレットに寄稿している漫画家の板垣先生の「意思の疎通がとれているのかわからない」という感想を読み、アダちゃんにとってこの生活が本当は幸せだったと思うのは、あくまで私の感想にすぎないのだな、と思いました。
本当は服を着るのは嫌だったのかもしれない。
本当は草を食べたかったのかもしれない。
アダちゃんにとって服を着ない生活の方が快適なのかもしれないし、本当の親はアダちゃんを養親以上に愛して育ててくれるかもしれない。
そして成長した彼女は、本来の仲間と共に過ごす生活のほうが安心して暮らせるのかもしれないと。
映画のエンドロール後はアダちゃんのこれからを思って泣いてしまったのですが、別の席の鑑賞者が「あれを出すのは反則でしょう!」と叫んでいるのを聞いて、周りに誰一人泣いておらず、なんだか異端者のような気分になりました。
以下結末のネタバレ
この映画は終始不穏です。
妻マリアと夫イングヴァルがセックスしているシーンをはさむことで、この二人にこれから新しい子供ができたらアダちゃんはどんな目に遭うのかという不穏さを与えます。
さらに、マリアを誘惑するイングヴァルの弟、ペートゥル(ロクデナシ)。
この二人もしかしてすでに不倫関係だったのか?それとも元カレと元カノだったのか?関係を清算したからマリアは兄の方と結婚したのか?
アダちゃんという大きな不穏があるのにさらに不穏をぶつけないでほしい。
マリアはペートゥルを強制的にバスに乗せて追い出し、アダちゃんはイングヴァルと一緒に魚が採れているか見に行きます。
クライマックスが近づいてきたのに一家に平穏が戻ってきました。
しかし、戻ってきたマリアを迎えるのは銃声。
え? イングヴァル銃なんか持ってた? と記憶をたどりますがそんなもの持っていませんでした。
アダちゃんはどうなったのか。不安を抱く観客たちが固唾をのむ中、スクリーンに登場したのは、銃を構えた全裸中年男性だったのです。
そして観てわかる、この全裸中年男性はアダちゃんの血縁(パンフレットでは明確に父と表記されていました)。
夫婦の家の周りにあった不穏な存在感はこの全裸中年男性だったのです。
今まで夫婦の不穏さにばかり気を取られていた観客たちは「そんなのがこの山に生息していたなんて卑怯だろ!!」と思ってしまったことでしょう。
しかしこの作品、人間側の名前も聖書の人物たちですし、アイスランドの民話モチーフがちょこちょこと……日本人にはそれを複線だと見抜くの難しくない??
とにもかくにも、全裸中年男性は家に侵入し、銃を奪ったのでしょう。羊の畜舎にも入り込んでアダちゃんのお母さんと愛し合って(マイルドな表現)いたのですから。
彼が銃の使い方を知っているのは、アダちゃんの実母をマリアが殺害したのを見ていたからでしょう。
アダちゃんは、撃たれて血を流すイングヴァルに寄り添いますが、実父に手を引かれて山へと連れていかれてしまいます。
この映画では何度もアダちゃんが手を引かれて歩いていくシーンが出てきますが、その中でも最も不穏で恐ろしく見えます。
その時イングヴァルがつかんでいたのがアダちゃんの右手。
今までずっと、人と同じ形をしていた左手を掴んでいたのに、最後に彼は蹄になっている右手を掴んだのです。それも長く続かず、アダちゃんは連れていかれます。
イングヴァルは赤ん坊のようにアダちゃんを可愛がるマリアを見て、一人泣きました。
そして娘の名前を呼びながら探す悪夢を見ていました。
この夫婦はマリアの過激さが際立ちますが、イングヴァルも同じようにアダちゃんを自分の子供にしようとしたのです。
身勝手な夫婦が自分たちがしたように、本当の親にやりかえされただけ、と思うには、アダちゃんがあまりにも無抵抗で、夫婦を受け入れているように見えてしまいました。
しかしそれはあくまで人間側の見方なのかもしれません。
アダちゃんの実母は明確に子供を奪われた憎しみを夫婦に対して抱いていたのですから。
全裸中年男性からしても、夫婦が気づかないうちに生まれてくれるか、見た瞬間に気味悪がって捨てるかもしれないと思っていたのが、家の中で大事に育てだしたので「ちょいちょいちょーい!!!」と焦ったことでしょう。
失ったものをもとめて、本来あるべきものをゆがめてしまった夫婦の物語と思うと、人間のエゴを考えさせられる映画でした。
本作を観賞する方は、心してかかってください。
可愛い犬がむごたらしい姿になってしまうことに気分が落ち込みます。
そしてなによりつらい睡魔が必ず襲ってきます。