三十路からのデスマーチ

何気ない日常がもしかしたら誰かの役に立つかもしれない。

手を出した相手がヤバかった系「シス 不死身の男」

盲目の退役軍人の家に強盗に入った、引退したテロ暗殺部隊がボディーガードをしていた娘を誘拐した、凄腕の殺し屋だった男の愛犬を殺した等々、映画には

「手を出したらあかん奴に手を出したため報復に遭う」というジャンルがあります。

フィンランドで制作された映画「シス 不死身の男」もその一つ。

 


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本作は愛馬と愛犬を連れて孤独に金を彫るアアタミ・コルピという老兵の物語です。彼は寡黙で映画の結末まで言葉を発しません。

戦争で家族を失った彼は、ややぶかぶかの薬指をつけています。かつては彼の指にぴったりだったのでしょう。やがて金塊を見つけ、換金するために町へ向かいます。

久しぶりのお出かけに嬉しそうな愛犬と共に行くと、不穏な一段とすれ違います。

そう、ナチスです。

時は1944年。ナチスの中でも上のほうにいる兵士はドイツは負けることを察して、どうやって処刑を免れ逃げ延びるか考えているときです。

略奪した財産と食料、そして拉致した女性を交渉材料にああでもないこうでもないと頭を悩ませていると、目の前にやってきたみすぼらしい老人はなんと金塊を袋いっぱいにもっているんです。

そりゃもうヤるっきゃないとウェーイと調子に乗るわけです。

しかしコルピさんは一般フィンランド人ではなく、家族を殺された復讐鬼と化し、上官の命令も無視して一人暗殺部隊と呼ばれ、不死身という二つ名までつけられ、フィンランドでは形容しがたい不屈の精神SISUの代名詞にされ、軍も制御不能に陥ったため、自由におなりと野に放たれたフィンランド兵。

返り討ちにされるわけです。

七人殺されたところで状況を上に報告したところ、七人で済んだなら運がいい方だよ。ロシア兵300人殺した凄腕だよ。ほっといて早く帰っておいでと言われるわけです。

ここで金塊をあきらめて帰っていれば、もしかしたら、もう少し寿命が延びたかもしれないのに、金塊に目がくらんだナチス一団はコルピさんを追いかけるわけです。

ナチス軍団VS不死身の二つ名を持つ一人暗殺部隊の戦いがフィンランドで繰り広げられるわけです。

本作、ストーリーはとても分かりやすいのですが、見どころが満載で2時間弱しかないにも関わらず満ちたりた気持ちで「戦争は良くないなぁ!」とさわやかに劇場を後にできます。

ほとんど武器もなくナチス相手に自分の耐久力で挑まなければならないコルピさんですが、そんな彼の相手をするナチスもまぁまぁ気の毒なのです。

コルピさんが地雷原にいるため、ナチスは自分たちが埋めた地雷を避けて金塊を取りに行かねばならず、そうなると使われるのが下っ端です。

行って来いと上官に言われて、そろそろっと進めば、コルピさんが投げた地雷が上から飛んできます。

ナチスも頭を使って、捕まえてきた女性たちに地雷原を歩かせますが、身も心もぼろぼろになった彼女たちの足取りはあまりに重く、コルピさんはその間にさっさと逃げてしまいます。

やっと追いついたナチス兵が犬を放てば、コルピさんはガソリンをかぶり匂いを消し、見つかれば自らに火をつけて火だるまになり犬がひるんだすきに川に逃げおおせます。

不死身も息くらいするだろうと、少し浮かんだ瞬間に狙撃し、若い兵に回収に行かせますが、むろんコルピさんが死んでいるはずもなく、水中で喉を割かれて人間酸素ボンベにされるわけです。

真っ赤に染まった水面を見つめる若い兵隊の涙目。爽快です。

コルピさん自身は無敵ではありません。ケガをし、息が上がります。

爆弾で吹き飛ばされて意識も失います。

金塊を奪われ、心折れ欠けますが、目の前に操縦士付きの飛行機があれば追いかけて奪い返しに行きます。

何故そこまで金塊にこだわるのか。語られることはありません。

私たちに解るのは、コルピさんは家族を失い、寡黙で、折れない心を持っていること。そして愛犬をとても大切にしていることです。

戦争から離れて静かに菩提を弔いたかったのでしょう。しかしコルピさんは暴力に愛されているかの如く、災難に巻き込まれてしまったのです。

さて、ホラー映画の怪物のように恐ろしいコルピさんを相手に、なんとか金塊を奪ったナチスでしたが、不思議なことに行く先は墜落した飛行機でふさがれています。操縦士の首には自分たちがコルピさんに巻いたはずの縄があるのです。

そして拉致した女性たちがくすくすと笑うのです。

お前たちはもう死ぬと。すべてを奪われた彼は止まらないと。

不死身の一人暗殺部隊に手を出したナチスの末路は、ぜひとも劇場で確かめてほしいです。

 

本作、公式が「犬は無事です」と犬無事予告も作るほど、犬の無事を伝えてきます。馬は爆死させたのに!!

しかしそれも納得、愛犬ウッコ君はコルピさんの愛犬でもあり、中の人こと主演のヨルマさんの愛犬なのです。いくらフィクションと言えども愛犬を殺していいはずがないのです。

本作でもナチスに見つかり撫でられてしっぽを振ってしまうという人懐っこさを発揮し、撮影中もナチス兵の皆さんにしっぽを振って近づいてしまいリテイクを出してしまったこともあるほど。きっと撮影中もいっぱい撫でてもらっていたんだろうなとほんわかします。

犬が無事な爽快バイオレンス映画を観たいなと思った人におすすめの本作です。


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ヒトコワ&オカルトの嫌な映画「白石晃士の決して送ってこないで下さい」

邦画ホラー監督といえば知らぬ人のいない白石晃士監督。監督の元にはぜひ見てほしいと恐ろしい映像があの手この手で届きます。そんな映像の一つを見せちゃいますというコンセプトの本作「白石晃士の決して送ってこないで下さい」は、ヒトコワ要素とオカルト要素で観客を嫌な気持ちにさせる映画でした。

 


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私は運よく舞台挨拶付きの上映会に参加することができました。

10月14日に渋谷と池袋の二か所でしかない舞台挨拶。

私は邦画ホラーを劇場でみたことがほとんどなく、怖くて途中で逃げ出したくなるかもしれないと思い迷いながら座席販売サイトに行けば前列を中心に埋まりつつあり、迷っている場合じゃない!と勢いで購入しました。

結論から申し上げますと、怖いものが苦手な私はがっつり怖かったです。

オカルトとヒトコワ要素で良い意味で充実したホラー映画体験でした。

ただ、ホラー慣れしている人からしたら「CG荒くない? 」「そんながっつり映ってたらむしろ笑える」と感じるところもあるため、邦画ホラーを勇気出してみようと思っている人には良い塩梅の映画でした。

 

さて、本編開始早々に白石監督がスクリーンに映り、舞台挨拶は欠席してすみませんという謝罪から始まります。そんな、監督も忙しいでしょうから……と思っていると「この映画を観て嫌な気持ちになってくれると嬉しいです!」と元気よくアピールしてくれました。

つまり、私たちはこれから、嫌な気持ちにさせられるのです。

これは悪手。「今から皆さんには嫌な気持ちになってもらいます」と言われたことでこれから嫌なものを見せられるんだなという心構え、準備ができます。大したダメージは負わないでしょう。

等と思っていた私はあまりに無知でした。

その言葉はむしろ、監督からの「覚悟は良いか。」というブチャラティのごとく死刑宣告。

嫌な気持ちになりました。

嫌すぎて、後どれくらい観なきゃいけないんだろうと、上映中嫌な気持ちになりました。

そして同時にオカルト的恐怖もばっちり味わいました。

特に冒頭の廃墟のシーンは登場人物が訪れた時は明るかったのですが、怪異が起きる頃から陽が傾き、登場人物が恐怖のどん底に落とされるときは真っ暗で、時間の経過すら計算された恐怖演出が素晴らしかったです。

 

本作で語られる白石監督に届いた映像、それは若いカップルが廃墟に探検に行くという映像でした。

明るい彼氏の圭介と、気弱な彼女のユキ。冒頭の二人の様子はピクニックにきた、いわゆる文科系のほんわかカップルに観えました。

しかし廃墟にたどり着いてすぐにそれが一変します。

圭介の問いかけに対してうまく応えられず「ごめんなさい。」「許してください。」とユキが口にするたびに、不穏な空気をかき消そうと明るくふるまう圭介。

カメラに映っていないところでの二人の関係を察することができます。

圭介の言葉遣いは柔らかいのに、廃墟に置かれたロープウェイの中にユキを突き飛ばして、その中を撮影するよう指示するところは真綿で占めるような嫌な気持ちになります。

そしてふざけた圭介が隠れて、ユキが困っている姿を撮影しようとした時、ユキは姿を消すのです。ユキを探し、何とか見つけて再会を果たすも、泣いて支離滅裂なことを言うユキに段々圭介は苛立ち、彼女を怒鳴りつけ始めます。

その時、廃墟から真っ黒な何かがにじみだし、二人を恐怖に陥れるのです。

主人公の圭介とユキは、一見仲が良くどこにでもいるカップルなのに、実際は圭介によるDVや束縛にユキが苦しんでいるとういうのを雰囲気で伝えてきます。

圭介は明るく穏やかな青年に見えるのですが、周りの語る彼は女性を下にみていてふざけ半分で頭をはたき、服で隠れる場所を痣になるほどつねるという質の悪いDVを行っていました。

廃墟探検以後、ユキには何かが取りついたのか、それとも彼女の中の鬱憤が解放されたのか、圭介に詰め寄るシーンがあります。圭介とユキの立場が逆転したように攻め立てられしどろもどろな圭介に、嫌な気持ちになります。

こんなふうに本作はさまざまな角度から観客を嫌な気持ちにさせます。

そしてもちろん、恐怖も感じさせてくれます。

廃墟からユキが持って帰った「ビデオテープ」これがまた最悪の特級嫌悪呪物なのです。

圭介とユキがビデオを観ているシーンに、わずかに聞こえるビデオの音声、そして二人の顔から人が殺される映像なのではと、いわゆるスナッフビデオではないかと察することができます。

白石監督はそれをこれからお見せしますと言います。

いやいやいやいや見せないで。絶対嫌な気持ちになるじゃないか。

と思っていても無慈悲に流れる映像。

白石監督作品の多くに登場している清瀬やえこさん演じる女性が山の中で廃墟を撮影しています。のどかな光景、楽し気な女性の声、趣のある廃屋。そこに油断していると沖田遊戯さん演じる登山に来たらしい男性が乱入してきます。

もうそれだけで嫌な予感がし心の中で警報が鳴り響きます。

男性は女性のカメラをさりげなく手にし、良い廃墟があると案内します。

そのカメラの動きがもう気持ち悪い。女性は露出のない、厚手の登山服なのに、彼女の身体を舐めまわすような動きで身体が映るのです。

ただ女性というだけで、彼女は標的にされたのです。

この手口が本当に気持ち悪い。人気のない山奥で、自分の言う通りにしないとカメラを返さないというのです。ぎこちない笑顔が無表情に変わっていき怯えた、恐怖に満ちた様子が本当に嫌な気持ちになって、なんかもう怪異が起きてこの男をどうにかしてくれと思わずにはいられないのです。

性犯罪に遭われた人がこの映像を観たら、トラウマが蘇るような映像。

直接的な暴力はほとんどないのですが、「言葉」「雰囲気」で被害者が味わう恐怖や苦痛がじわじわと観客にも伝わってきて、すごく嫌な気持ちになります。

ヒトコワ要素が強すぎて、怪異が起きるとむしろほっとするような本作ですが、結末を見るとふと疑問に思うのです。

圭介の暴力は彼本来のものなのか。

圭介は自分の行為を反省し、大切な人を傷つけないようにしているけれど、もしかして何かが彼にそうさせるように仕向けていたのではないか。

そんな嫌な想像が浮かぶのです。

 

私は事前に監督に前置きされたにも関わらず、きっちり嫌な思いをさせられました。

本作で私がきっちり嫌な思いをさせられてしまったのは、演者さんたちの演技が素晴らしかったというのも大きな理由です。

ユキを演じる有川舞衣子さんは、気の弱い可愛らしい女の子がとても自然で、それだけに廃墟以後の高圧的なユキとの温度差にびっくりするほどでした。舞台あいさつで、攻めているときはとても楽しく、圭介に指示されているときは「あ?」と感じていたということがわかり、そんな心理状態であんなに気の弱そうな女の子を演じていたのだと二重に驚きました。

圭介を演じるかいばしらさんは、映画レビューをよく観ていたので「そのまんまかいばしらさんだ」と思っていたのですが、いなくなったユキを泣きながら探すシーンが素晴らしく、こんな演技をなさるのかと見入っていました。

暴力をふるうのも事実だけど、圭介にとってユキは大切な人で、彼女がいなくなったら必死に探すという矛盾しながらもリアルさを感じるキャラクターでした。また演者としての姿を見せてほしいと思いました。

ビデオの女性の清瀬やえこさんはとにかくリアルで、本当のスナッフビデオを見せられているのではと、そんなわけはないのにとても不安になりました。舞台挨拶で彼女が「ガンガン攻めてください」と共演者に伝えていたことがわからなければトラウマになってしまうほど、演技がリアルでした。

沖田遊戯さんのビデオの強〇魔は本当に気持ち悪く、手口も姑息でじわじわと女性に恐怖を与えていくところにとても嫌な気持ちにさせられました。舞台挨拶で苦労したあんなことやこんなことを話していただけて本当に良かった…当分引きずるレベルで嫌な犯罪者の演技がお見事でした。

そして今回ヒトコワとオカルトの恐怖要素を担っていた小倉綾乃さん演じるカラメは行動も存在も謎で、なぜ彼女が白石監督の前に現れたのか、彼女は後ろ暗いところのあるもののところに姿を現すのではないかと思わせる、都市伝説のような摩訶不思議な存在でした。

小倉綾乃さんの独特の雰囲気と、「黒い家」の大竹しのぶさんが演じた幸子のように、ふわふわとしている口調に不気味さのある独特の存在感があり、舞台挨拶で映画そのままの姿で登場した時は少しぞっとしました。

また、白石監督のインタビューに答える、圭介が出禁になったバーのマスターや圭介の元恋人役の揺楽瑠香さんも短いながら自然な演技で、よりリアルさの増す雰囲気が最高でした。

上映館が少ないのがとてももったいない。行ける距離と観ることのできる時間の確保できた方にはぜひとも観て、嫌な気持ちを分かち合ってほしいと思いました。

最後に、この映画のとても残念な点。

パンフレットがないんですよ……。

特に舞台挨拶で有川舞衣子さんの「自分の普段の行いを見返していただければ」と清瀬やえこさんの「どんな服装をしていても(性犯罪の)被害者になりうる」という大事なメッセージ性はぜひとも残してほしいと思いました。

ただ恐ろしい、ただ嫌な気持ちになった、というだけではなく、同等に考えさせられる映画でした。

 

以下本作のネタバレ含めた舞台挨拶の感想。

かいばしらさん、沖田遊戯さんもカラメ役の小倉綾乃さんと同じ、作中の服装で登場したので「うわぁ~本物だぁぁぁ!」とテンションが激しく上がりました。

かいばしらさんは圭介そのままの穏やかな語り口で、実は飼っているテグ―(ネズミのようなかわいい動物)を虐待するシーンを監督が想定していたのですが、それは勘弁してくださいということになり、人を殺した(自殺ではあるが間接的に殺害したともいえる)ことにしてもらった、というエピソードが語られていて、本作の和気あいあいとした雰囲気を感じることができました。

かつてゾンビーバーの感想で「動物が死ぬなら観れないという人はいるけど、その死にざまは素晴らしかったし、犬も良いジャーキーを出演料で食べてるかもしれない」とおっしゃっていましたが、自分の愛テグーとなれば、フィクションでも厳しいのだと人柄を感じました。

また気持ち悪いほど恐ろしい犯罪者を演じた沖田遊戯さんは傾斜だったため頭に血が上り大変だったこと、スタッフが用意してくれたマイ〇ロディーの枕で支えていたけれど血の気が失せてしまい、皆に心配された。というトラウマ回避の良エピソードを語ってくれました。

家族が観に行くと楽しみにしているし親戚のも小学生も見に行くらしいのでもう実家に帰れないかもしれないと気にしていたところに、白石作品で殺したり殺されたりしている清瀬やえこさんが、自分の家族もよく観に来て楽しんでくれたから大丈夫とフォローをされていて、ホラー映画に出演する方のプライベート事情を垣間見ることができました。

 

ちなみに本作、最後の白石監督へのカップルからの近況報告にぞっとする演出がほどこされているのですが、個人的には「ユキは大好きな圭介に暴力を振るわれることなく一生そばに居続けられるし、圭介は自分の気持ちを抑え込まなくても暴力をふるうことができない身体になったので、ユキに暴力を振るわずそばにいられるのでハッピーエンドでは? 」とストゼロをあおって思いました。

 

結論、舞台挨拶は行けそうなら行った方がいい。他に残らない一期一会のコメントが聞ける。

孤独を肯定する稀有な作品「ちひろさん」

元風俗嬢のちひろさんは海辺の地元に根付いた弁道屋さんで働いている。

名前も元々風俗店で使っていた源氏名

自由気ままに生きている彼女は周りの人を時に振り回し、時に救い、飄々と生きている。

漫画「ちひろさん」は「ショムニ」という一世を風靡したドラマの原作漫画を描いた安田弘之先生の作品。

ネットで広告を見たことがある人もいるのでは。

ちひろさんは女版スナフキンというか、時に誰かの悩みを解きほぐしたりしながら、誰かに依存したりせず生きています。

いいなぁっと思ったお店の、いいなぁっと思った店長が「結婚してください」と結婚指輪を出した瞬間にバツンっとバッテリーが落ちたように縁を切ります。

イケメンだったら受けとった、なんて批判は愚問です。

彼女はドカタで坊主頭の谷口と気分でワンナイトラブを決める人なんです。

結婚、恋愛、そんなもので彼女は酔えないのです。

チーズ牛丼を頼んでいそうな私が言おうものなら「恋愛しないんじゃなくて相手が見つからないだけwww」と言われますが、ちひろさんの実写版は有村架純です。有村架純の姿形が言う、恋愛で酔えない。説得力があります。

ちひろさんは気分が乗らないときは大好きなニューハーフのバジルが大好きなウミウシ展に誘っても「いや、今日はカレー作るんで。」ときっぱり断ります。

そんなんじゃ一人になっちゃうよ? という批判もちひろさんには無縁です。彼女は去る者は追いません。一人が寂しければそのへんの飲み屋にいっておっちゃんたちに溶け込むだけです。

ちひろさんは決して情のない人ではありません。

母親にネグレクトされがちな問題児を諭したり、家族に抑圧される女子高生の支えになったり。

問題解決はしません。本人たちの問題なので。彼女は一瞬、折れそうになった時に、ぼっきりと折れてしまわないように寄り添うだけです。

今だけ、誰かにそばにいてほしいと思った、心折れそうな経験をした人には、共感できるのではないでしょうか。

ちひろさんはよくも悪くも他人を尊重する面があります。

自殺をしようとしていた青年を、熊手で引き止め言い放ったのは「電車は停めるな」です。

結局その青年は死にそびれ、ちひろさんと一緒に潮干狩りをします。

ちひろさんは自殺を批判しません。彼女が止めたのは電車を停めることだけです。

自殺は良くない。

そんな多くの創作で語られることを、ちひろさんは賛美しません。

自殺する人と目が合えば、にこっとほほ笑むでしょう。それだけです。その微笑みに自殺をしようとした人が立ち止まってしまうことはあるでしょうが。

ちひろさんの生き方は、冒頭にあるホームレスの埋葬に現れています。

素性もしらないホームレスの死に立ち合ったなら、警察、もしくは救急車を呼ぶ、もしくは関わりたくないと見なかったことにするでしょう。彼女はそうせずに、誰にも見られないよう自分しか知らない場所に埋葬します。

作中にはそれが刑法に違反すると書かれています。

私もかつて家族の葬儀の際に「この埋葬許可書がないと法に触れますので。」と丁寧に葬儀会社の方から書類を渡されたことがあります。

身内でも書類のない埋葬は三年以下の懲役に処されてしまいます。

ちひろさんがそんな犯罪を躊躇なく犯すのは、彼女の向こう見ずなというか、刹那的というか、故人の遺志に対する敬意の強さを表しています。

どんな生き方をしてきたか知らないけれど、きっと誰にも迷惑かけずにできれば誰にも知られないように息を引き取りたかっただろうと。

浮浪者の死は同情されるより、どこかよそで死ねばいいのにと言われ、身内が判明しても「縁を切ったので」と引き取りを断られるか「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げるか、どちらにしろ故人が望まない、もしくは故人が辱められるだけですから。

死体遺棄をやってのけたちひろさんは不法侵入は日常茶飯事です。秘密基地と称して廃ビルや廃墟に私物を置いて酒盛りをします。

そこが後々、家にも学校にも居場所のない女子高生たちの秘密基地となります。

ちひろさんは孤独な女子高生たちの出会いを見守ります。

彼女は孤独を尊重しますが、人の出会いを否定しません。

ちひろさんの心の中にはお父さんとお母さんを求める少女のままの綾ちゃんが存在します。

ちひろさんは盲目のお弁当屋さんの奥さん多恵さんに惚れて、彼女の退院後一緒に旅行にでかけたりします。子供と疎遠だった多恵さんはちひろさんのことを本当の娘のように受け入れてくれます。

ちひろさんは実母とできなかった触れ合いを、多恵さんのおかげで再現し、幼かった綾ちゃんを解放することができたのです。

飲み友達もでき、お気に入りのお店もあり、ずっと欲しかったお母さんも手に入れたちひろさんは、最後にその町を誰にも言わずに去ります。

彼女の生存報告は、親友のように慕っていたバジルと父親のように慕っていた(実際お父さんになってとお願いして振り回した)元風俗店の店長に画像を、多恵さんには音という形で届きます。

欲しいものを全て手に入れたのに、完成したパズルを自分でひっくり返すような形で物語は終わります。

そこには、あれだけ深くわかりあい交流したはずの人たちへの素っ気なさすらあります。

これだけ周囲を振り回しておいて、と思う人もいるかもしれません。

しかし、本編ではたびたび、ちひろさんの捉えどころのなさが描かれています。

元風俗店の店長は、風俗店時代に出会ったちひろさんを「幽霊みたいな」と評しています。そして「想像のつかない幸せと不幸の中で遊んでる」と彼女の生き方を例えます。

ちひろさんの生き方は「いるよね、こういう人」と思われる一方で、「男女の間に性欲のない感情は存在しない」「家族は一緒にいるべき」「孤独に生きることは間違っている」のどれかが心に在る人には、受け入れることはできません。

けれど、世の中には、その生き方に共感し、呼吸がしやすくなる人がいます。

そういった人たちは「そんなことはない、貴方は間違っている」と言われ続けて生きてきました。

孤独であることがここまで肯定的に締められる作品はとても珍しいです。

人生を生きるために最も必要なのは、いかに不幸から目をそらすかです。

不幸は無限に湧いてくるもの。災害のように訪れます。

その不幸に飲み込まれて沈む時に、ちひろさんのように沈みながら手を振ってくる存在に、やり過ごし方を教えてもらえたらどんな大波も気づいたら乗り越えられるのではないでしょうか。

否定され続けてきた少数派の人たちにこそ、刺さる作品です。

 

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二次元並みの足の長さを誇るリティク・ローシャンの「バンバン!」

トム・クルーズキャメロン・ディアスの主演映画「ナイト&デイ」。ハリウッドが誇る美男美女のアクション映画として当時話題になりました。

それをインドで作り直した本作。

RRRがゴールデングローブ賞で話題となったその波に乗れとばかりに日本でも公開されました。

「ナイト&デイ」をまだ観ていなかった私は、イケメンと美女がなんやかんやあってどんぱちがあるんだろうなというざっくりした雰囲気だけで観に行きました。

びっくりしました。

主演のリティク・ローシャンの足の長さに。

私も長いこと映画を観てきたのでスタイルのいいイケメンは見慣れていたつもりでしたが、明らかに比率がおかしい足の長さ。

ハイヒールを履いたヒロインと腰の高さが同じという驚異の足の長さ。

ネットで足の長さを表すのに「股下〇〇km」という表現がありますが、インド本土をまたにかけられそうなほどの足の長さ。

そんなリティク・ローシャンと絡むヒロイン、カトリーナ・ハイフは尾田栄一郎先生の漫画に出てくるような美しくスタイルの良い美女で、安定の「冴えない女とかいいながらどう見たって美女やないかい」という気持ちが込み上げます。

そんな美男美女がなんかやばいテロリストに追いかけられて逃げ惑いつつ反撃する本作。

人が死ぬコンテンツとは思えないくらい要所要所でコメディが挟まれています。

私が観賞した映画館は席間隔が大変蜜なので、隣の人の笑い声の近さは恋人同士でソファーでテレビを見ているような距離感でした。

ウェイターがメニューを間違えたところで笑い、主人公がヒロインに車で跳ねられたところで笑い、いかにもコメディ枠の悪役の部下が勘違いから着衣のままプールに入ってきたところで笑い、リティク・ローシャンのお色気シーンに固唾をのむ。

しかし本作、笑いだけではないのです。

まさか最初のあれがこんなに胸熱くなる伏線回収になるなんて誰が思ったでしょう。すくなくとも、ドジっ子ウェイターのしょうもない伏線が回収された時には誰にも想像できませんでした。

そして訪れる感動の結末に、思わず鼻をすすってしまった瞬間、挟まれるエンドロール。

なるほど、これがインド映画。カレーセットを頼んだらカレーセットが出てきたような安定感です。

家族、友人、恋人、一人、どんな状況でも楽しませてくれる映画でした。

最後に、ちょっと気になって調べてびっくりしたこと。

インドでは最近トヨタよりスズキが人気らしいということです。

 

これはもはやスポーツ観戦「THE FIRST SLAM DUNK」

日本が世界に誇る人気バスケット漫画「SLAM DUNK」。不良だった主人公が好きな女の子の笑顔が見たくてバスケ部に入り、全国制覇を目指すという物語です。

厳しいキャプテン、無表情で美形のライバル、問題児の先輩、元中学生MVPという個性的な仲間たちは主人公と同じく人気があり、相手高校のキャラクターも負けず劣らず人気がありグッズ化され、キーホルダー等カバンにつけていた読者も多いです。

アニメ化もし、オリジナルストーリーで映画化もしました。

そんな SLAM DUNKを令和で映画化するよということになりネットは騒然。

が、その映像があまりにも当時のアニメとかけ離れたものだったことと、声優がテレビアニメと違うということと、制作陣からの「アニメのふざけたノリが嫌だった」的な発言で大炎上。

その燃え方はすさまじく、公開前は期待度が急降下していました。

そう、まるで突然主要キャラの娘であり、主人公の幼馴染というヒロインが突然はえてきた某海賊漫画の映画のように。

そんな「THE FIRST SLAM DUNK」は公開後にはくるりと反応が変わりました。

まるで主人公の幼馴染というヒロインがなんで原作にもいないんだと嘆かれた某海賊漫画の映画のように。

「THE FIRST SLAM DUNK」は漫画がそのまま動き出したような作品です。

原作・脚本・監督を井上雄彦先生が務めるため、原作ファンには垂涎もの。

本作は主人公の最後の戦い、山王戦を、湘北メンバーの2年生宮城リョータを主人公に描いています。

桜木花道ではないのです。

宮城リョータ。2年生のPG。180cmを超える選手の多い湘北のメンバーの中で168cmと最も小柄ですが、スピードとテクニックに秀で、湘北には欠かせない存在です。

美人マネージャーの彩子に片思いをしていて、試合中も彼女の声援でよそ見をしながら絶妙なパスを出す描写があります。

そんな彼が令和の SLAM DUNKでは主人公!

主人公になった彼には、平成の時とは違う物語が添えられます。

リョータには三つ年上の兄がいました。バスケを教える兄は小さなリョータにも手を抜かず、けれどあきらめず攻めてくる弟をよくやったとぎゅっと抱きしめる優しさを持ち合わせていました。

父を失った家のキャプテンとなり、母や家族を支えてくと言う心意気を見せるリョータの兄は、なんと御年12歳。

え、まだランドセルしょってるんですかこのお兄ちゃん。

予告で見た時は中学生かと(それでも幼すぎる)と思っていたのにまだランドセル。

この時点で涙腺が緩んできます。

しかしバスケがうまく、優しく、頼もしかった兄は釣りに出かけたまま帰らぬ人になり、リョータは約束をした1on1はできなくなってしまいました。

リョータの母は夫と長男を失った沖縄から神奈川へ引っ越しました。

馴染めない学校、狭い団地、一緒に練習する相手もなくバスケットコートでドリブルをしているリョータの前に、一人の少年が現れました。

さわやかな少年はリョータと一緒に1on1をしてくれようとしたのですが、リョータはつい意地を張って帰ってしまいました。

その少年は三井寿

原作の初登場はやべぇ不良として仲間を引き連れて、バスケ部をめちゃくちゃにしようと襲撃をかましますが、赤木に叩かれ、木暮に想いをぶつけられ、不良仲間の堀田から「バスケがしたいんじゃないか」と本心を諭されます。そしてやってきた恩師、安西先生に「バスケがしたいです……。」という姿はスラムダンクを読んだことなくても知っている人もいるくらいの名シーン。

中学生時代はMVPとしてキラキラしていた三井が、孤独なリョータの前に現れ、あの日の兄のように1on1に誘ってくれるという、原作でもこれがあったら当時の読者の情緒がえらいことになっていましたが、原作ではおそらく存在しない記憶。彩子から自分にリョータを重ねていたのではと言われて、リョータも「マジで……」と驚いている描写があります。

しかし映画では突然中学生の時に二人は出会っていたという記憶が生えてきたのです。

そしてリョータは高校生になりました。原作ではバスケ部マネージャーに一目惚れしてバスケ部に入ったのですが、そんなエピソードはなく、ごつくて怖い赤木先輩に叱咤されるリョータ姿がありました。

赤木先輩は全国制覇を目指す努力家で、彼はリョータの的確なパスを認めて、湘北には欠かせないメンバーだと確信していました。

しかし少しひねくれていたリョータはそれを素直に受け取れず、友人のヤス君に「赤木さんは期待しているんだよ」と励まされます。

そこでエンカウントしたのが、ロン毛の不良。

リョータが「この顔どっかで見たことある」と記憶を掘り起こすと出てきたのはあの日1on1に誘ってくれたキラキラとした少年。

原作を読んでいたから知っていたけど、あまりにも最悪な再会に観ているこっちは蒼白。

ここで三井寿が何故不良になったのかという説明はありません。そんなことは原作を読んで知ればいいのです。

しかし令和のコンプライアンスか、リョータはこの暴行事件の後に交通事故をおこして入院したという展開になっていました。

原作では三井の前歯をへし折ったのに、映画ではそのことにも触れられていません。そのためツイッターでは前歯は死守された派と前歯は差し歯に決まってるだろ派にわかれました。

映画がTHE FIRST SLAM DUNKの人には、なぜか三井がキラキラした中学生から、一度ロン毛の不良をはさみ、なぜか傷だらけの顔になりリョータと一緒にバスケ部にやってくるという流れになっています。

原作にはなかった過去が挟まれつつ、山王戦は展開されます。

原作を読んでいない人がついてこれているか、原作履修済の者は少し気になりますが、徐々にそんなことを気にする余裕がなくなります。

原作を読んでいるはずなのに、原作で見たやつだこれと思うのに、先の展開が読めずにハラハラするのです。

私はスポーツ観戦というのに今まで縁がなく、プロ野球も、ワールドカップも、オリンピックすらまったく興味がなくて、手に汗握って応援するということに縁がなかったのですが、湘北チームの健闘に息を呑みながら見入ってしまいました。

劇場の大きなスクリーンと音響のせいで、応援席にいるような気持ちになります。

私は堀田の横でタオルを振り回して叫んでいるのです。心の中では。

映画が終わった後は、疲れて足がふらつきました。

映画を観ていたのか、湘北のIHを観に行っていたのか。

声を出していないのに、さわやかな爽快感を感じながら劇場を後にしました。

観る前は「すごい酷評だな」と思ってしまいましたが、今はひたすら思います。

なるべく事前情報なし見てほしかったんだろうけど、もうちょっとプロモーションの仕方あったのでは……。と。

早い段階で「声優を一新しました」と出してくれれば、これほど燃えることもなかっただろうと……。

しかしすぎたことを言っても仕方がないので、今は思います。

他のキャラでも「THE FIRST SLAM DUNK」やってくれませんかね??

 

 

 

 

 

 

30年分の狂気「マッドゴッド」

ストップモーションアニメ。

写真を一枚一枚とって重ねて作り上げる動画作品。日本で今一番熱いものはフェルトで作ったキャラクターをストップモーションで撮影したアニメ、プイプイモルカーでしょう。

モルモットと車を足して生まれた可愛らしいキャラクター、モルカーがビルを倒したり、海底トンネルを破壊したりする可愛い作品で、大人から子供まで魅了し、某有名ミステリー作家も自宅で量産するほど。

そんな可愛らしいモルモットアニメを作り上げた監督は、マイリトルゴートという七匹の子ヤギをモチーフにした特濃闇深ホラーアニメを作りました。

そう、ストップモーションとホラーは切っても切れないのです。

映画界のマッドゴッドと言われるフィル・ティペット監督が30年かけて病んだり休んだりして作り上げた作品「マッドゴッド」。

PG12のストップモーションアニメ。

惨憺たる世界をスクリーンいっぱいに魅せられた人たちは口々に「どえらいものを見てしまった……!!」と大なり小なり心に何かをねじ込まれて劇場を後にする作品。

 

マッドゴッドの予告を観て気になった人は、PG12に性的要素が含まれるかどうか気になる人もいるかと思います。

性癖は人それぞれなので、地獄のヘドロをかき混ぜるようなこの作品に性的なものを感じる人はいないとは言い切れませんが、まず普通の人は性的要素を感じることはないと思います。

 

マッドゴッドはセリフがほぼありません。セリフなのか鳴き声なのか効果音なのか、判別付かない音はあります。

生き物と思われるものから聞こえるのは基本的に雄たけびや悲鳴や断末魔です。

ストーリーはなく、地獄で行われる弱肉強食や拷問や解剖やなんか気持ち悪い生き物の排せつ物を何か気持ち悪い生き物なのか機械なのか、人工物なのか有機物なのかわからないものが租借したり、そこからなにか別の生き物なのかそうじゃないのかわからないものが生まれて労働し、事故死し、虐げられ、踏みつぶされる様を眺めるのです。

ダークファンタジーというにはあまりにも陰惨で、ホラーというにはあまりに抑揚がなく、狂人の頭の中がスクリーンに出力されたものを眺めるというのが最も近いです。

アサシンという爆弾を抱えた主人公が、めくるたびに進むたびに崩れていく地図を手に、地獄の下を目指す姿を、眺めます。

その目的は知らされることはありません。

彼の意味は爆弾を置くことなのか、それとも彼自身が解剖されたその中にあるのか。

それすら意味もなく、彼はただ無意味に苦痛を味わい続けるのか。

大多数の人の人生が意味もなく終わるといいます。

一見主人公として物語を進めているように見えるアサシンは、簡単に事故死する労働者のシットマンと大差ないのではないのか。彼が踏みつけて気づきもしなかった小人と同じなのではないか。

マッドゴッドを見に来るのは人生にハッピーなことが少なそうな人たちが多そう(偏見)なので、わが身に起きているように感じる人もいるのではないでしょうか。

 

マッドゴッドは30年かけて作り上げた執念の作品です。

監督は「売れるとか特に考えていない」とコメントしていますが、文化圏の違う日本でも刺さって抜けないファンが続出しています。

おそらく、ほとんどの人は、プイプイと動くモルカーを眺めてほっこりし、時には涙し、時には人間の愚かさに嫌気がさすのでしょう。

しかし中には「マッドゴッド」が必要な人がいるのです。

汚物と腐敗の空気をマスク越しに吸い、岩の裏をひっくり返してわっさぁと出てくる無視やミミズを見ることになんか楽しいものを感じてしまう人がいるのです。

そんな大人気なマッドゴッド。売り切れていたパンフレットの再販が12月24日に決まりました。

マッドゴッドファンには最高のクリスマスプレゼントです。

 

 

 

 

 

怒りの映画「RRR」


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日本では昨今人気が出始めたインド映画。

筋肉!アクション!火薬!ダンス!とすっきり爽快で観れるので「つらい時ほど見てほしい」と勧める人の多いジャンルです。

この秋、映画館に行ってやたらとパワフルなインド映画として、「そうはならんはずなのになっとる!!」の連続を予告で見せられて、やだ……気になる……。と観に行ってしまった人も多いと思います。

そして映画ファンからは「5回見た」「三時間が一瞬だった」「予告通りのものを何倍も見せられた」「無限にカレーとナンが出てくる」「できればポスターはネタバレだから観ないで行ってほしい」というコメントが寄せられています。

しかし中には「RRRは決して笑えるだけの映画ではないし、笑えるコメディアクションを予想していくと裏切られる。」「RRRは真面目な映画。インドの弾圧と差別を描いている。」「RRRの根底には監督の怒りを感じる。真面目にみるべき作品。」「それはそれとして火薬と筋肉と予告の映像全部倍盛である」というコメントがあります。

 

私も獰猛な野生動物と共に飛び出す主人公ビームのワンシーンを観て「ちょっと観てみよう。」と行ってきました。

きっとあんまり深く考えないで観れるんだろうなとわくわくしながら観に行ったんです。

期待に胸を膨らませて、アバターとワカンダフォーエバーの予告を観終わると映画が始まります。

イギリス植民地時代のインドのとある村。美しい声で歌う少女は英国人の貴婦人の腕にペイントを描いて歓迎しています。

女の子は笑顔で歌っているのに、周りの大人の表情がめちゃくちゃ硬い。

そう、RRRの事前公開されたストーリーは攫われた少女を一人の男が救いに行くという始まりでした。

嫌な予感がしていると、鹿狩を終えてきた夫人の夫が葉巻をスパスパ吸っていて「こいつ悪い奴だ」と子供でも分かる雰囲気を放っています。

英国人の部下が二枚の銅貨を放り投げます。

英語がわからない村の人たちは「女の子の歌声を気に入ってチップをくれたのだろう。」と恐る恐る察し、怯えている女の子の母親に「奥様がマッリの歌声を気に入ってくれたんだ。」と察した年長者が言います。

怯えた母親は「ありがとうございます。」と怯えながらもお礼を言って受け取った瞬間、貴婦人が美声の少女、マッリを連れていきます。

「は? 」と観客も村人も唖然とし、「英国人が銅貨二枚で女の子を買った」と気づいた瞬間、母親は泣きながら車を追い、身を挺して車の前にすがって娘を返してというのです。

こんなに唐突に、花でも折る様に子供が連れていかれるのか。あまりのあっけなさに観客は凍り付きます。

軍人が母親を撃ち殺そうとしたとき、英国人の偉そうなおっさんが「弾がもったいない。」と言い放ち、軍人はその辺に落ちていた木で母親の頭を殴りつけるのです。

車の中で泣き叫ぶ少女の目に映る、血まみれで倒れた母。

筋肉の爽快アクションを期待して来た観客に浴びせられる煮えた油のようなインド人差別。

「アクションを見に来た皆、この映画は差別を描いているんだ。」

監督がサムズアップしながらウィンクしている顔がよぎった方もいたかもしれません。

観客たちのIQが上がり、肝が冷えたところで主人公の一人、ラーマが登場します。

ラーマは警察官。暴徒と化した群衆が攻め寄せる金網を直立不動で見ています。

怯えて引っ込む英国人上司の目の前で、投げつけられた石が部屋に入ってきます。投げつけた暴徒を指さし、「あいつ捕まえてこい」と言いますが、そこは襲い掛かってきそうな暴徒の海の中。

無茶ぶりに一人歩みだしたのはラーマ。バイオハザードのように群がってくる人間をちぎっては投げ骨を折りぶん投げ、石を投げた暴徒を上司の前に引き出すのです。

しかし満身創痍でやってのけたのに、昇進の発表では白人ばかりが選ばれます。

ラーマは英国側のようですが、同時にその階級の中でも差別を受ける側なのです。

再び差別の重い二文字を観客に残します。

 

そしてもう一人の主人公、ビームのターン。

ほぼ裸で狼を狩る主人公、そこへ虎が乱入。原始的な罠と知恵と筋肉で虎を捕獲するという「これ!観客が見たかったやつはこれ!」と思わせてくれます。

ビームは英国人に連れ去られたマッリを取り戻すために、デリーにやってきた村の守護者なのです。

しかし都会ではその正体を隠し、マッリを取り戻すための伝も人員もなく、怒りを押し殺して純朴で優しいインド人として、英国人に理不尽な理由で殴られます。

冒頭、アクションよりも差別の割合が多く、観客たちは真面目な気持ちでスクリーンを眺めます。

アクション映画よりも、差別と闘うシリアスな映画を観に来た気持ちに観客の気持ちがシフトしたときに、再び我々の心に襲い掛かる衝撃。

暴走して燃え盛る燃料を積んだ列車が川に落ち、重油で燃える川の中に一人の少年が取り残されます。

周りが諦める中、少年を助けようと立ち上がったビームに、橋の上から「一緒に助けよう!」と合図を送るのは、潜伏しているビームを追っていたラーマ。

二人は互いが何者か知らず、力を合わせて少年を救うのです。

燃え盛る炎にロープ一本で救助をやり遂げた二人の男に熱い絆が芽生えないわけもなく、今までの暗い気持ちを吹き飛ばすほどの爽快なアクションが観客の心をつかみ、IQをガンガン下げます。

映画一本分くらいありそうなラーマとビームの日常をダイジェストで送り、兄貴とラーマを慕うビームと、本当の弟のようにビームに接するラーマの絆が描かれます。観客たちが二人の主人公をすっかり好きになった時に、ついにその日は訪れます。

二人は互いの正体を知ってしまうのです。

誘拐された村の仲間を助けに来たビーム。

昇進のために英国に楯突く反乱分子を掴まえなければならないラーマ。

二人の絆に亀裂が入り、ついにはラーマに捕らえられてしまうビーム。

どうしてラーマは昇進しなければならなかったのか。

そのストーリーもまた重く、そしてラーマの決意と信念の固さが語られます。

果たしてビームはマッリを助け出すことができるのか。ラーマの過去とは。そして二人の絆の行く末は。

3時間という膀胱が心配になる拘束時間を忘れてしまうほどの圧倒的な展開、そして目を離せない映像の数々。冒頭の重苦しさを吹き飛ばす爽快な結末。アクションに興味がない方も飽きさせないRRRをぜひとも劇場で観ていただきたいです。

 

以下ネタバレ

 

RRRは怒りと差別の映画です。

そしてそれはインドだけでなく、世界において行われている差別を表しています。

ビームが英国人のパーティー会場で「ダンスも踊れないのか」と英国人に馬鹿にされ、笑われた時、真っ先に不快感をあらわにするのが黒人の演奏者。彼は「こんな光景をみるのはうんざりだ。」と表情で表します。

しかし、落ちたシルバーのトレーを持ってきたラーマがドラムで叩きだした瞬間、彼の顔に笑顔が戻ります。

あざ笑う英国人の間をぬって現れたラーマがビームの手を取り、一緒にナトゥを踊りだします。

馬鹿にする英国人男性に対して、英国人女性たちが「いいかげんにして」と彼らをはねのけ、ラーマとビームに「さぁ続けて」と促す一連のシーンは、差別される側が段々立ち上がっていく胸熱くなるシーンです。

差別に対してNOという強い意志。

それを鬱陶しくなく、堅苦しくなく、差別も弾圧も私たちはあきらめないし立ち向かうというメッセージを感じます。

そしてストーリーも単純明快ですっと受け入れることができます。

攫われてきた少女を助ける主人公と、どうしても権力を手に入れなくてはいけない重い過去をもつ主人公が出会う、二人の絆と戦いの日々。

三時間を飽きさせないほど、主人公二人はとても魅力あります。

戦士ビーム。彼はインド人の中には伝説として知られる「村人を守る守護者」です。村から攫われた一人を絶対に助けるために、どこにでもやってくる存在。

ビームは登場シーンでその強さを表しながら、都会では優しく純朴な労働者としてふるまいます。彼はマッリを連れ去った貴婦人の姪ジェニーと出会い、マッリという名前を聞いて何とか彼女に協力してほしいと思うのですが、英語がわからないためうまく伝わりません。しかしジェニーに暴力や恐喝という手段は使わず、どうか助けてほしいという気持ちと、少なからず彼女に対しての好意をもって接します。

しかしラーマと共に戦うために立ち上がった彼の目には、敵に対して微塵の容赦もなく、戦士としての怒りと信念があります。

そんな二面性がビームの魅力として際立ちます。

警察官ラーマ。

彼は津波のように押し寄せる群衆に対し、周りの同僚や上司がおびえる中、すっと背筋を正し、一歩も引きません。それどころか暴徒となった群衆の中に飛び込み、その中から一人を引っ立て連れてくるという「なにがそこまでさせるのか」とぞっとするほどの強さを見せます。

しかし、自分を兄と慕ってくるビームの前では屈託のない笑顔を見せます。ビームが英語がわからないけれども英国人の女性に惹かれていると知ると協力し、身だしなみを整え、ダンスも踊れないと馬鹿にされた時は一緒にナトゥを踊り、そのダンスを馬鹿にしていた英国人も巻き込んでダンスバトルとなるシーンは圧巻。

ラーマは強く鋼のような警察官と、ビームを導いてくれる兄としての顔を持っています。

ラーマの過去は、この映画が戦う映画だと強く印象付けます。

ラーマの父は、英国に立ち向かうための兵士を育てていました。

ラーマ自身も幼い頃から兵士として戦う闘志を燃やしていました。そんな彼に幼馴染の少女シータは寄り添っていました。

ラーマの父と村に足りなかったのは武器。ラーマの父は村の中から警察官として潜入する者を選抜し、権力を手に入れ銃を村にもたらす計画を立てていたのです。

ある日幼いラーマの銃の才能を見出し、息子に全てを託して村人を守るために英国人との戦いで命を落とします。

英国軍人に母と幼い弟を殺され、村のために殉じた父を目の当たりにした幼いラーマの心に、強い決意と信念が芽生えます。

彼の心には常に、シータの存在がありました。

村人全員に銃を持たせると約束し旅立ったラーマを、シータは四年間も便りがなくとも思い続け、無事帰ってきてくれるようにと待っているのです。

ラーマの信念の源、それは故郷に置いてきた愛しい人と、村人との約束だったのです。

RRRは三時間の中に何本もの映画を詰め込んだような構成がくどくなく、作りこまれています。

健気なシータはラーマとの約束を胸に待ち続けていましたが、ある日手紙が届きます。

ラーマからの手紙には、親友を助けるために英国を裏切って、処刑されるはずだった親友と彼が助けに来た少女を一緒に逃がしたこと。悔いはなかったと。

そして英国からは、ラーマの処刑がきまったのでその遺体を引き取りにくるようにと。

絶望と悲しみを胸に抱えやってきたシータは、警官に追われている様子の一団を目にします。

そして彼らを追ってやってきた英国人の警官に「天然痘の人がいるのです。助けてください。」と嘘をつき、追い払います。

天然痘におびえた警官に蹴り飛ばされたシータに、警官に追われていた一人が駆け寄り、お礼を言います。

その男こそ、ラーマに命を救われ、マッリと共に逃げ出したビームでした。

ラーマからの「困った人がいたら助けよう」という意志を引き継いだシータ。その意思が巡って再びビームを助け、ビームはラーマを助けるために筋肉を駆使した救出作戦に出るのです。

要所要所に重い差別をはさみながら、それでも爽快感を抱くことができるのは「最後に必ず勝つのはこの二人だ。」と信頼できるからでしょう。

そしてそれを「ご都合主義」と思うのではなく、二人の魅力が観客に「この二人にどうか最高のエンディングを用意してください!!!」という気持ちにさせること。そして、「この邪悪な英国人夫婦を血祭りにあげてくれ!!」という血を求める衝動が自然と芽生え始めてくるからでしょう。

そもそも邪悪な貴婦人が「絵もうまいし歌声も気に入ったから連れて帰ろう」と銅貨二枚ぽいしてマッリを攫わなければディズ〇ーランドみたいな屋敷が燃えることもあんな最期を遂げることもなかったでしょう。

いえ、それはそれで昇進したラーマが武器を村に送り、もう何年か後にはなりますが同じ末路をたどったかもしれませんが。

観て損はなく、落ち着いたころにはインドの背景を深く考えされられる、筋肉と火薬とダンスと歌が織りなす映画「RRR」。

夏から急に寒くなり、精神と体調が不調を起こしやすいこの季節にぜひとも観ていただきたいパワフルな映画でございました。