三十路からのデスマーチ

何気ない日常がもしかしたら誰かの役に立つかもしれない。

孤独を肯定する稀有な作品「ちひろさん」

元風俗嬢のちひろさんは海辺の地元に根付いた弁道屋さんで働いている。

名前も元々風俗店で使っていた源氏名

自由気ままに生きている彼女は周りの人を時に振り回し、時に救い、飄々と生きている。

漫画「ちひろさん」は「ショムニ」という一世を風靡したドラマの原作漫画を描いた安田弘之先生の作品。

ネットで広告を見たことがある人もいるのでは。

ちひろさんは女版スナフキンというか、時に誰かの悩みを解きほぐしたりしながら、誰かに依存したりせず生きています。

いいなぁっと思ったお店の、いいなぁっと思った店長が「結婚してください」と結婚指輪を出した瞬間にバツンっとバッテリーが落ちたように縁を切ります。

イケメンだったら受けとった、なんて批判は愚問です。

彼女はドカタで坊主頭の谷口と気分でワンナイトラブを決める人なんです。

結婚、恋愛、そんなもので彼女は酔えないのです。

チーズ牛丼を頼んでいそうな私が言おうものなら「恋愛しないんじゃなくて相手が見つからないだけwww」と言われますが、ちひろさんの実写版は有村架純です。有村架純の姿形が言う、恋愛で酔えない。説得力があります。

ちひろさんは気分が乗らないときは大好きなニューハーフのバジルが大好きなウミウシ展に誘っても「いや、今日はカレー作るんで。」ときっぱり断ります。

そんなんじゃ一人になっちゃうよ? という批判もちひろさんには無縁です。彼女は去る者は追いません。一人が寂しければそのへんの飲み屋にいっておっちゃんたちに溶け込むだけです。

ちひろさんは決して情のない人ではありません。

母親にネグレクトされがちな問題児を諭したり、家族に抑圧される女子高生の支えになったり。

問題解決はしません。本人たちの問題なので。彼女は一瞬、折れそうになった時に、ぼっきりと折れてしまわないように寄り添うだけです。

今だけ、誰かにそばにいてほしいと思った、心折れそうな経験をした人には、共感できるのではないでしょうか。

ちひろさんはよくも悪くも他人を尊重する面があります。

自殺をしようとしていた青年を、熊手で引き止め言い放ったのは「電車は停めるな」です。

結局その青年は死にそびれ、ちひろさんと一緒に潮干狩りをします。

ちひろさんは自殺を批判しません。彼女が止めたのは電車を停めることだけです。

自殺は良くない。

そんな多くの創作で語られることを、ちひろさんは賛美しません。

自殺する人と目が合えば、にこっとほほ笑むでしょう。それだけです。その微笑みに自殺をしようとした人が立ち止まってしまうことはあるでしょうが。

ちひろさんの生き方は、冒頭にあるホームレスの埋葬に現れています。

素性もしらないホームレスの死に立ち合ったなら、警察、もしくは救急車を呼ぶ、もしくは関わりたくないと見なかったことにするでしょう。彼女はそうせずに、誰にも見られないよう自分しか知らない場所に埋葬します。

作中にはそれが刑法に違反すると書かれています。

私もかつて家族の葬儀の際に「この埋葬許可書がないと法に触れますので。」と丁寧に葬儀会社の方から書類を渡されたことがあります。

身内でも書類のない埋葬は三年以下の懲役に処されてしまいます。

ちひろさんがそんな犯罪を躊躇なく犯すのは、彼女の向こう見ずなというか、刹那的というか、故人の遺志に対する敬意の強さを表しています。

どんな生き方をしてきたか知らないけれど、きっと誰にも迷惑かけずにできれば誰にも知られないように息を引き取りたかっただろうと。

浮浪者の死は同情されるより、どこかよそで死ねばいいのにと言われ、身内が判明しても「縁を切ったので」と引き取りを断られるか「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げるか、どちらにしろ故人が望まない、もしくは故人が辱められるだけですから。

死体遺棄をやってのけたちひろさんは不法侵入は日常茶飯事です。秘密基地と称して廃ビルや廃墟に私物を置いて酒盛りをします。

そこが後々、家にも学校にも居場所のない女子高生たちの秘密基地となります。

ちひろさんは孤独な女子高生たちの出会いを見守ります。

彼女は孤独を尊重しますが、人の出会いを否定しません。

ちひろさんの心の中にはお父さんとお母さんを求める少女のままの綾ちゃんが存在します。

ちひろさんは盲目のお弁当屋さんの奥さん多恵さんに惚れて、彼女の退院後一緒に旅行にでかけたりします。子供と疎遠だった多恵さんはちひろさんのことを本当の娘のように受け入れてくれます。

ちひろさんは実母とできなかった触れ合いを、多恵さんのおかげで再現し、幼かった綾ちゃんを解放することができたのです。

飲み友達もでき、お気に入りのお店もあり、ずっと欲しかったお母さんも手に入れたちひろさんは、最後にその町を誰にも言わずに去ります。

彼女の生存報告は、親友のように慕っていたバジルと父親のように慕っていた(実際お父さんになってとお願いして振り回した)元風俗店の店長に画像を、多恵さんには音という形で届きます。

欲しいものを全て手に入れたのに、完成したパズルを自分でひっくり返すような形で物語は終わります。

そこには、あれだけ深くわかりあい交流したはずの人たちへの素っ気なさすらあります。

これだけ周囲を振り回しておいて、と思う人もいるかもしれません。

しかし、本編ではたびたび、ちひろさんの捉えどころのなさが描かれています。

元風俗店の店長は、風俗店時代に出会ったちひろさんを「幽霊みたいな」と評しています。そして「想像のつかない幸せと不幸の中で遊んでる」と彼女の生き方を例えます。

ちひろさんの生き方は「いるよね、こういう人」と思われる一方で、「男女の間に性欲のない感情は存在しない」「家族は一緒にいるべき」「孤独に生きることは間違っている」のどれかが心に在る人には、受け入れることはできません。

けれど、世の中には、その生き方に共感し、呼吸がしやすくなる人がいます。

そういった人たちは「そんなことはない、貴方は間違っている」と言われ続けて生きてきました。

孤独であることがここまで肯定的に締められる作品はとても珍しいです。

人生を生きるために最も必要なのは、いかに不幸から目をそらすかです。

不幸は無限に湧いてくるもの。災害のように訪れます。

その不幸に飲み込まれて沈む時に、ちひろさんのように沈みながら手を振ってくる存在に、やり過ごし方を教えてもらえたらどんな大波も気づいたら乗り越えられるのではないでしょうか。

否定され続けてきた少数派の人たちにこそ、刺さる作品です。

 

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