幼い頃、戦争体験談を語り部の人に聞くという項目が修学旅行に組み込まれていました。
当時、戦後から時間が経つにつれ、徐々に語り部の人は少なくなっていくのが問題視されていました。
生きた人の声を、多くの人に届けることの重要性。それが消えていくことの問題。
しかし現在、デジタルタトゥーという言葉があるほど、一度放流されたものがその人の死後も延々と残るのかもしれないという現象があります。
そう、ネットの世界なら。
その当時私は被災地から遠い場所に住んでいました。
その夜はテレビはずっと真っ赤になった東北の沿岸部を画面の端に出し、真っ暗な中焼ける東北の街を表示していました。
翌日、ラジオでは行方不明者の名前を抑揚のない声で延々読み上げ、私の身の回りは何事もないような日常生活を送っているのに、流れてくる情報はただ事ではない様子でした。
被災地から遠い場所に住んでいた私には、その当時東にいた人たちの体験談というのは、興味本位や好奇心で聞いてはいけないような、ふざけ半分に聞いてはいけないような話でした。
そんな私の意識を変える、被災された方のエピソードを聞くことがありました。
その方の住居は津波の被害に遭い、当時その家にご家族といて避難が遅れてしまい、自衛隊の救助を待つ間そこで過ごすことになったという、生還者のエピソードでした。
2021年にVtuverの木風公子さんが配信に参加させた被災地ジョーさん。その存在感と不謹慎な装いから出てくる重いけれどどこか明るいエピソードは、まるで三谷幸喜監督の映画でも見ているような、明るさと笑い、そして人の温かさを感じました。
テレビで取り扱っても十分はえるエピソードですが、彼の体験談を聞くことができるのは、YOUTUBUのこのチャンネルだけでした。
かつては特別な知識人のためだけの世界だったインターネット。
それが個人でも気軽に情報の配信者になれたからこそ、聞くことができた体験談。
いつ、どこで、誰が巻き込まれるかわからない災害だからこそ、その気持ちが「話してもいいかもしれない」と思ったときに、そっと語れる場所がこの匿名の世界なのではないのかと感じました。