三十路からのデスマーチ

何気ない日常がもしかしたら誰かの役に立つかもしれない。

膨らんだ期待が泡のようにはじけた映画「バブル」

シン・ウルトラマンで重要な情報解禁がされました。有識者によれば綾波のそっくりさんが田植えしている姿が公開されたのと同じくらいのタイミングらしいですね。

ウルトラマンをろくに知らない人間が観ても「ありがとう……ウルトラマン……。」と思い涙せずにはいられなかったりするほどの名作として、賛否両論あれど賛辞の方が多いことで話題ですね。

ネタバレされたから見る気がなくなった、なんていわずにぜひ見てほしいです。ネタバレを忘れるほど引き込まれますから。

そんなシン・ウルトラマンともっとも同じ時期に公開してはいけなかったと個人的に思う作品があります。

進撃の巨人で有名な監督と、数々の心揺さぶる音楽を生み出した音楽家と、美しく迫力ある作画で有名な漫画家と、おタク大好きな鬱展開量産機で話題の脚本家を混ぜて、渋谷をジャックしたり漫画展開したり、ネトフリさんで先に公開されたりすることで話題になった作品「バブル」。

マーケティングが失敗した代表的な例と言われた「バブル」。

絶対売れるものなんてないことを証明した「バブル」。

何故「バブル」がシン・ウルトラマンとかぶってはいけなかったのか。

シン・ウルトラマンが「なぜかわからないけど人間を好きになって、命を投げ出してまで人間を守ろうとしてくれた宇宙人」を描いたのだとしたら、「なぜかわからないけど人間に突然怒りだして東京を沈めた宇宙人」を描いたのがバブルなのです。

シン・ウルトラマンはさりげなく、ウルトラマンが人間を好きになっていく過程が描かれているのですが、それに対してバブルは「たぶん怒りに触れた」というセリフだけで東京が壊滅するのです。

ネタバレになるので本筋までは語りませんが、個人的には「これはテレビで最も見てはいけないタイプの映画だ……。」と思いました。

迫力あるパルクールの映像、美しい画とマッチした音楽、ご家庭のテレビでは再現できないのです。

本作のテーマというかストーリーがSF版「人魚姫」なのですが、それは決して悪くはないのですが、テーマと設定が壮大すぎるのに主人公たちのしていることがこじんまりしすぎているのです。実際パルクールで東京タワーに昇っただけなので。

結果、主人公は特になにもしていないのに勝手にストーリーが進んで終わってしまったのです。

本当に、特に何もしていないのに、始まって終わったのです。

予告は良かった。主題歌もよかった。なのにどうしてこうなった。

 

ネットでは今も賛否両論ありますが、私はバブルで賛辞だけを得る検索方法を見出しました。

バブル アンダーテイカー で検索をすると、バブルに出てくるパルクールチームの一つ、アンダーテイカーのリーダーというキャラクターがとても良いというコメントが続々出てきます。

 

バブル、よかったけど批判ばっかりでつらい、と感じた方はぜひとも試してみてください。

 

 

白髪で隠れない美貌のヒロイン映画「狗神」

天海祐希セミヌードが観れるということで、当時男子高校生が劇場に駆け付けたという噂のある角川ホラー映画「狗神」。内容は、四国の山間にある集落で暮らす中年女性が新任の若い男性教師と出会ったことにより、その集落で恐ろしいことが起き始めるという官能小説のようなストーリーです。

このヒロインこと、天海祐希が演じる美紀はとても美しいけれど白髪がぽつぽつある女性で、地元の青年に「自分にとってはお祖母ちゃんみたいなもんです。」といわれます。後々わかりますが彼女は集落で疎まれた存在です。何故かというと狗神憑きだから。

この狗神憑きというのは、自分たちに危害を加えた者、自分たちに無礼を働いたものを狗神を遣って殺すことができる、というものです。

そんな恐ろしい一族だと差別するのは大体中年から上の年齢で、若い人たちは「狗神なんかいるわけねぇだろうがよ!!」という意見を持っています。

この作品を天海祐希セミヌード目当てで観に行った男子は「思ったより見えなかった……でもおっぱいはちょっと見れた。」という気持ちで劇場を後にしたことでしょう。

若い男性教師、晃と出会ったことから、美希と集落に異変が起きます。集落の人皆が悪夢を観たり、美希は美しく若返っていきます。

若返ると言っても、白髪交じりの髪をしていた天海祐希が元の天海祐希に戻って眼鏡も外しただけなので、オフの天海祐希か仕事モードの天海祐希くらいの違いしかありません。

だって天海祐希なんですから。

ワンピースで鎌を持ってのしのし歩いている街田しおんも、ヒステリックな演技と山路和弘に甘えるときの演技が色っぽくて良いです。おっぱいを一応見せてくれます。死んでますけど。

この作中では、女性の扱いがひどいです。

こんな集落で生きるなんてまっぴらごめんだと逃げ出したのに連れ戻された美希の母に始まり、子宮筋腫だからと夫が勝手に医師と相談して子宮摘出を決めてしまった百代、夫が飲んだくれで不倫をされている園子。しかも夫はずっと妊娠させた妹に執着していたことがわかります。本当に報われない。

美希は「女が黙って死ぬとでも思ってんのか」と兄の頭を狗神様が入っている壺でかち割りますが、それもっと早くやっておかなきゃいけないやつです。

解ります。

四国の端っこから逃げ出そうと思っても、どこに逃げ出せばいいのかわかりません。なんせ美希の家にはテレビもなく、携帯電話なんてもっとないのです。彼女は飛び立とうとしたときに妊娠し、一緒に逃げようとした男(実兄)は美希を置いて先に逃げていたのです。精も根も尽き果て、「ここならとりあえず家はあるし…。仕事場から見る景色も好きだし……。」と思ってあきらめてしまうのです。耳クソのようなよかった探しを始めるのです。

よぉく解ります。

そして物語はとんでもない方向へと向かっていきます。

個人的にはモノクロのシーンから、炎が立ち上がって色が変わるのは「どやっ。」という監督の顔が浮かびました。

 

最後にこの映画を観終わった時、狗神は果たして本当にいたのか。という微妙さを感じました。

心筋梗塞が重なっただけで、あの黒いもやっとしたのは美希が見ている幻覚にすぎなかったのではないか。

美希が本当に怒りのままに狗神を遣えていたのなら、真っ先に殺したい相手は目の前にいて、ハンドバッグで殴っている場合ではないのでは。

最後に出てきた美希の悪夢を想起させるような演出が、ホラー映画だから一応後味悪くしておこうみたいに見えて……。

原作ではちゃんと(?)ホラー展開になっていたそうなのですが、この映画はド田舎の薄幸美人のドラマに収まってます。

だって天海祐希ですから。

紙すきのシーンも美人なのです。

お母さんだとしても知らずに接してきていたのだからきゅんとする、という気持ちもわかります。

 

物語の結末に向けてのシーンを見て、「あの病院での身内受けトークが伏線だったの!?」と驚いたりします。

若かった美希の姪と美希を慕っていた青年は結ばれているような、これからも大変そうな不穏なラストではありますが、同時にその不穏さは「美希と晃はあの山のどこかで別の形で生きているのでは」とも思わせてくれます。

 

角川ホラーらしい、じっとりねっとりした作品でございました。

 

 

 

※ちょっとネタバレ

映画では美希は母親の霊を降ろせるイタコのような役割をしていたという設定があり、そこは逆に何故美希がこの集落にしばられているのかという説得力がありました。

美希が幻覚や精神分裂によって母親を見たり、演じたりしているのか、本当に母親の霊が見えて降ろしているのかはさておき、そんなやばい身内を外に出すわけにはいかないというのは納得できます。

外に逃げて何か事件が起きたら、集落に残った一族が一層差別や偏見をうけるのです。

狗神が存在しているのか、存在していないのかぼかすことで、「狗神がいることにして誰かで鬱憤を晴らしたい」という集団心理の嫌な感じがリアルでした。

美希一人を殺さず、一族で死ぬことにしたのを決めたのが男だけというのも本当に嫌な感じでしたがリアルでした。

だから逆に、男の誠二が、美希を庇ったり、反対を押し切って助けようとしたりしてくれたので、この物語に希望のようなものが見えて、あまりわるくない後味に仕上がったのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スパイダーマンは一人じゃない

ドクター・ストレンジマルチバース・オブ・マッドネスが公開されてうっきうきで観てきました。

でも本国でも観ていない方もいるので、まだ語りません。

その代わりマルチバース前作のスパイダーマンがとてもよかったという話をします。

 

このブログのタイトルにもあるように、私は三十路を超えています。

私、まだMCUが存在する前に公開された、いわゆるサム・ライミ監督版のスパイダーマンを劇場で観ました。

まぁ驚きました。

スパイダーマンというキャラクターを知っていましたが、アメコミの実写版がこんなにスタイリッシュなんて。

日本ではとてもできません。

今もできません。

三部作を劇場で追いかけて、心優しい青年ピーターの苦難の道に想いを馳せました。

そして数年後。今度はアメイジングスパイダーマンが公開されました。

私は様々な事情から、アメイジングスパイダーマンの二部作は劇場で観ることができず、DVDで観ました。

僕の戦いはこれからだ!!という終わりを迎えたアメイジングスパイダーマン、略してアメスパ。

続編が観れる日はくるのかと思っていました。

それから数年後。

MCUの映画、キャプテンアメリカとアイアンマンが本気の殴り合いをしてアベンジャーズが真っ二つに割れてしまう映画、シビル・ウォーが公開されました。

そこになんと予告でも存在を明かされなかった、今までの別会社のスパイダーマンよりも幼い、正直に言ってとても可愛い、トム・ホランド演じるスパイダーマンが登場しました。

お、おかえり、スパイダーマン

スクリーンでまた彼を見ることができた喜び。

今までのスパイダーマンは孤独に戦ってきましたが、今度の彼は頼れる先輩と頼れる財布がついています。

そして満を持して単独映画が公開。

しかし、その次の出番が、みんなのトラウマ、インフィニティウォー。

あんなに可愛くて頑張って戦っていたピーターがなすすべもなく、トニーの腕の中で黒い塵となって消えていくのです。苦痛を訴えながら。

トラウマです。

お通夜です。

早く帰ってきてキャプテンマーベル!!

それから五年後、戻ってきたピーターは相変わらず小さな体で頑張りました。大事な恩師、アイアンマンの死を乗り越えて。

そんな彼が開幕メディアからバッシングされる最新作ノー・ウェイ・ホーム略してNWH。

胃をきりきりし、愚かな民衆に滅びろと思っている場合でもありません。

何故なら腕利きの弁護士が出てくるのです。

待って!誰も教えてくれなかった!盲目のスーパーヒーローデアデビルの借りの姿、敏腕弁護士マット・マードックが出てくるなんて!

出番がこれだけにしておくにはもったいない古株ですが、これはピーターの物語なので今回は凄腕弁護士としての仕事をして退場です。

そしてピーターが望まずマルチバースから呼び寄せたのは、サム・ライミスパイダーマンの人気ヴィラン、ドクター・オクトパス。

予告で観た時からもう会いたかった。

どんどん出てくる懐かしい敵役。

お爺ちゃんになってしまったグリーンゴブリンも痛々しい。

ピーターは、彼らが別世界では全員亡くなっていると知り、それじゃあこのまま戻したら死んでしまうと、ドクター・ストレンジに逆らって彼らの問題を取り除くことになります。

皆で仲良く仮住まいに移動し、メイ叔母さんに塩水を飲まされようとされて「はぁん!?」と怒っているドクター・オクトパスからまず正気に戻します。

無事元の優しいオクタヴィア博士に戻り、ちょっと涙ぐんでいると、大事件が起こります。

グリーン・ゴブリンがやらかします。

そして、あの時が訪れるのです。

みんなのトラウマ「大いなる力には大いなる責任が伴う」のシーンです。

そのセリフを言うのは、ピーターが失いたくなかった人の最期の時なのです。

あんなに小さな身体で頑張っていたピーター。

大切な人を失くしてしまった彼を見つけてくれたのは、彼のガールフレンドのMJと親友ネッド。そして、今まで別の世界で戦っていたスパイダーマンの二人。

別の世界のスパイダーマンもやってきていたのです。

私、ツイッターの反応で出てくるのは予想していたんです。

でもですね、それこそ腕利き弁護士と同じくらいの登場だと思ってたんです。

だから、ネッドがうっかりストレンジ先生から取り上げていた道具でピーターを呼ぼうとすると、どこかの路地裏にいたピーターを見つけた時にはすっかり忘れていて、普通にたまげたんです。

MJとネッドが手を振っていた時、私も心の中で手を振っていたんです。

すると駆け足でやってきたピーター……あれ? なんかでかくね? 

まさかと思ってマスクをすぽんっと外せば、そこにはアメスパのスパイダーマンアンドリュー・ガーフィールドのピーターが出てきたのです。

疑うMJとネッドと、蜘蛛の巣を払ってとお願いするネッドのお祖母ちゃんを観ながら、まだ茫然とする私。

そしてもう一回呼ぶと、今度は謎の一般人……え? この一般人、トビー・マグワイアじゃね……?と驚いていると、ただの一般人のトビー・マグワイアではなく、サム・ライミ版のスパイダーマン

もう、ここで両手を合わせました。

この三人がいつか一緒に出てきたら、それはもう、ファンアートでしか実現できない世界だと思っていたのに、みんなの大好きな善き隣人が三人もいるんです。

え、この同人誌どこで買えるんです?とコミケカタログの映画ジャンルを見ながら尋ねたくなるレベルの、三人が力を合わせて励ましあい、冗談を言い合いながら過ごす時間。

この時間が永遠に続いたらいいのに……。

でも映画には終わりがきます。

前作の二人が抱えていた心残りを、この世界で解放しながら。

最後にピーターが選んだ道はとても悲しく、とても切ない。

でも、彼の心には別の世界で戦うピーター・パーカーの存在が残っているのなら、彼の大きな支えとなってくれるのではないでしょうか。

スパイダーマンは一人じゃない。

マルチバースには黒人のスパイダーマンや女の子のスパイダーマンや豚ちゃんのスパイダーマンや、デッド・プールに絡まれてうんざりしているスパイダーマンがいるんですから。

 

 

マルチバースと言えば。

ドクター・ストレンジ2ことドクター・ストレンジマルチバース・オブ・マッドネスもサム・ライミ監督がメガホンをとっているそうで、宣言通りかなりホラー寄りになっています。

どのくらいかというと、ツイッター死霊のはらわたの続編と言われるくらいです。

ドクター・ストレンジマルチバース・オブ・マッドネス

これまでのMCUの中でいっちばんホラーらしいので、スパイダーマンを観た気持ちで行くのは要注意です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワンピースまだ間に合う?

ワンピース、貴方はどこで挫折しました?

私はゴーイングメリー号がもう一緒に旅をできないと判明するウォーターセブンで挫折しました。

ゴーイングメリー号は諦めなきゃならないし、ウソップは船を降りるっていうし……なんでだよ!!空から帰ってきたんだぜ!?あんな大冒険したのにここで仲間割れするのかよ!!

と悲しくなって挫折しました。

なんとなく、船大工が加入したらしいことや、ウソップが戻ってきたことや、船長が初期から言っていた音楽家が入ったことや、とんでもない別れがあったことや、二年経っていることは知っていましたが、100巻が発売されたことをきっかけに私もまた麦わら一味の冒険を追いかけています。

ワンピースを好きだったのが十代。あれから干支が一周以上しましたが、戻ってきてもまだおもしろいワンピース。

というか、回を追うごとに過去編がつらくなっています。

私はナミさんの養母のベルメールさんとの別れが当時とてもつらく、二年後のナミさんが女海兵さんに弱いと言ったときに号泣してしまうほど思い入れのあるキャラでした。

ベルメールさん。ナミさんは貴方にそっくりな子供好きのセクシーで素敵な女性になりましたよ……。

最初は謎の美女だったニコ・ロビンがすっかり打ち解け、ずっと人の目を気にして息をしてきた彼女がスリラーバークでウキウキと上陸チームに混ざったりしているのを見て泣いたり、落書きの龍が消えるときに花を手向けたり、ついには変顔をさらしたり、ガラの悪いチンピラ兵の真似が板についていたりとおもしれ―女になっているのにまた涙しました。

そしてまさかのラブーンが待ち続けていた仲間のブルックが生きて(死んでるけど)いたり、最初の冒険を知っている読者にも嬉しい伏線の回収があってあっという間に100巻呼んでいました。

まだ間に合いますよ。ワンピース。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嘘です。

間に合うのは本当です。

あっという間じゃありませんでした。

ウォーターセブンのロビンちゃんの過去編もフランキーとアイスバーグさんの過去編もつらくて数日しんどくなっていました。

マリンフォード頂上戦争で落ち込んでました。

そして100巻読み終わった後もツライオブしんどかったのがドレスローザ編……。

私、チョッパーが好きなので展開がつらくてもチョッパーの癒し要素で乗り切ったことが多かったのです。でもドレスローザ編にはチョッパーは別行動なのです。

バルトロメオ君がいなかったら、本当乗り切れませんでした。

尾田先生、早く彼にちゃんとした航海士と操舵者をつけてあげてください……。

なんかもう、過去編も地獄、現在進行形も絶望。ルフィ船長じゃなくても読んでるこっちが息苦しさで窒息しそうで……本誌追いかけてた人たちよく心臓がもったなと。

しかも主人公とは別のところでDの一族を背負うキャラクターが出てきて「それ主人公じゃなくて貴方が言っちゃうの!? 」と、シリアスな面を背負うキャラクターが出てきたり。

しょうがない。船長は世界で一番ふざけた能力を持った存在だから。しょうがない。

そしてやっと終局になり、新たな展開を見せるワンピース。

くしくも舞台は日本をモチーフにしたワノ国編。

いや、先生、ワノ国今までのやばい国の中でダントツ地獄じゃないですか……。

初めて読んだとき「先生、日本モチーフでこのすさまじい独裁国家って……今の日本のメタファーなんですか?」と思いました。

そんなわけでまだ見ていない方。間に合います。

たぶんまだ100巻くらい続きますから。

クリーチャーより零戦が怖い「シャドウ・イン・クラウド」

初めてシャドウ・イン・クラウドの予告を見た時に「おお!またつよつよ女子が怪物をぶん殴る系のアクションか!!?」と期待したものです。

ツイッターでは早速見た人たちから

「シナリオがいまいち。」

「クロエ観たい人だけみたらええ。」

「シナリオがいまいち……。」

となかなかの辛口が並んでいます。文句を言っていいのは観た人だけです。

だから私も言います。

 

ストーリー

第二次世界大戦下、何故の箱を抱えた主人公、ギャレット大尉は極秘任務を受け爆撃機に乗り込む。それは想像を絶する恐怖の始まりだった。

 

本作、当時世界中の飛行機乗りを震撼させた架空の怪物「グレムリン」と主人公の戦いのように予告はされています。

しかしグレムリンよりも恐ろしいものとギャレット大尉は戦わなくてはならなかったのです。

 

主人公モード・ギャレットは戦中の空を200回以上飛び続けた飛行機の整備もできる凄腕パイロットなのですが、彼女が乗り込んだ爆撃機は男だらけのセクハラモラハラざんまいの最悪の爆撃機でした。

突然やってきた美女を彼らはある意味で歓迎しますが狭い爆撃機の底にある銃座に押し込め、彼女に対する卑猥な暴言を吐きまくり。整備不良なのか本当にグレムリンが壊したのか、銃座から出られなくなったギャレット大尉を「どうせ女が何もしてないとか言って勝手にいじって壊したんだろう」と、彼女の報告を無視し、敵機の存在を認めようともしません。

壊れかけた銃座でグレムリンを目撃したギャレット大尉は、クソみたいな男たちに追い詰められつつ、爆撃機をちょこちょこ壊していくグレムリンと、さらには襲ってくる敵の戦闘機とも戦わなくてはいけなくなるのです。

 

 

以下若干のネタバレ

ギャレット大尉はどんな極秘任務をえているのか。彼女が「絶対開けるな」と言って渡した箱には何が入っていたのか。

それがわかるのが本作の転換期です。

それまではずっと、観客はギャレット大尉と一緒に爆撃機の乗組員からの差別を受け続けなくてはいけません。

彼らの姿は一切見えず(低予算なんだろうなぁ)声だけが通信機からずっと聞こえてきます。

彼女を攻め立て侮蔑する声は聴いているだけで奥歯の歯茎が痛み続けるような嫌な気持ちになります。

ギャレット大尉が軍に入った理由は、夫のDVから逃れるためでした。

しかしそこでも、同じ国を守るはずの軍人から女であるだけで報告もまともにとりあってもらえないのです。

 

私はこの映画を観る前に、ガンパウダー・ミルクシェイクという「こまけぇことはいいんだよ!男なんざ銃で撃ったら死ぬんだからよ!!」という武装した女性たちが男たちを物言わぬ肉片に変える映画を観ていたので、しおしおの顔で座席に座っていました。

あれ、予告でグレムリンをクロエがぶん殴ってたはずなんだけどな……という不安な気持ち。

このひたすらギャレット大尉を侮蔑する男たちという展開の尺が思ったより長くて「無理」という人はいたのではないかと思います。

確かにつらかった。

確かに長かった。

きしょくわるいクリーチャーは襲ってくるし、零戦から箱を守らなくてはいけません。

そう、こんな南にいるはずのないやばい戦闘機、零戦がくるのです。

この戦闘機、めちゃくちゃ怖い。どんどん乗組員を殺していくのです。ギャレット大尉も間一髪、箱を取り戻し爆撃機の中に戻ってくるのです。そこにはグレムリンがいるのですがそんなことより零戦です。とっとと追っ払って零戦を撃墜させなければ箱の中身も自分たちの命も木っ端みじんです。

まったくどこの国がこんなおっかない戦闘機を作ったのか。

この一夜の戦いは、ギャレット大尉に何をもたらすのか。彼女は極秘任務を達成することができるのか。

 

本作は緩急のつけ方がちょっと失敗したかなというところと、あ、予算あんまりないんだな、というのを感じさせてくれる作品です。また、ちょっとそれは無理があるのでは……と感じてしまう設定があります。

でも見たい画はきちんと見せてくれます。

さらに音楽が90年代のB級映画をレンタルした時によく聞いた音楽を模倣しているため、30代以上は「あ、なんか懐かしい……。」という気持ちにさせてくれます。

この作品は、人を選ぶ作品ではあります。

個人的には、予告で見たグレムリン素手で殴るシーンと、零戦がおっかないところで映画代の元はとれたと思いました。

予告の映像が観たいと感じた人の期待は決して裏切りません。

ぜひ公開している最寄りの劇場へ行ってみてください。


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現在の語り部の集う場所

幼い頃、戦争体験談を語り部の人に聞くという項目が修学旅行に組み込まれていました。

当時、戦後から時間が経つにつれ、徐々に語り部の人は少なくなっていくのが問題視されていました。

生きた人の声を、多くの人に届けることの重要性。それが消えていくことの問題。

しかし現在、デジタルタトゥーという言葉があるほど、一度放流されたものがその人の死後も延々と残るのかもしれないという現象があります。

そう、ネットの世界なら。

 

その当時私は被災地から遠い場所に住んでいました。

その夜はテレビはずっと真っ赤になった東北の沿岸部を画面の端に出し、真っ暗な中焼ける東北の街を表示していました。

翌日、ラジオでは行方不明者の名前を抑揚のない声で延々読み上げ、私の身の回りは何事もないような日常生活を送っているのに、流れてくる情報はただ事ではない様子でした。

被災地から遠い場所に住んでいた私には、その当時東にいた人たちの体験談というのは、興味本位や好奇心で聞いてはいけないような、ふざけ半分に聞いてはいけないような話でした。

 

そんな私の意識を変える、被災された方のエピソードを聞くことがありました。

その方の住居は津波の被害に遭い、当時その家にご家族といて避難が遅れてしまい、自衛隊の救助を待つ間そこで過ごすことになったという、生還者のエピソードでした。


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2021年にVtuverの木風公子さんが配信に参加させた被災地ジョーさん。その存在感と不謹慎な装いから出てくる重いけれどどこか明るいエピソードは、まるで三谷幸喜監督の映画でも見ているような、明るさと笑い、そして人の温かさを感じました。

 

テレビで取り扱っても十分はえるエピソードですが、彼の体験談を聞くことができるのは、YOUTUBUのこのチャンネルだけでした。

 

かつては特別な知識人のためだけの世界だったインターネット。

それが個人でも気軽に情報の配信者になれたからこそ、聞くことができた体験談。

いつ、どこで、誰が巻き込まれるかわからない災害だからこそ、その気持ちが「話してもいいかもしれない」と思ったときに、そっと語れる場所がこの匿名の世界なのではないのかと感じました。

日本最後の秘宝館

それはかつて日本の温泉地に存在した、「愛」と「性」をテーマにした大人の博物館と言われています。

男女の営みを再現した蝋人形や春画、映像が飾られている場所です。

高校生の頃、人形の特集を組んだ雑誌を見た時に、その存在を知りました。

知ってしまいました。

私はその時に、秘宝館に置かれた人魚の蝋人形が気になり、実物を見てみたいなと思たのでございます。

しかしご存知の通り秘宝館は軒並み廃館。

現在残っているのは熱海の秘宝館のみです。

もうあの日見た雑誌の蝋人形は観ることができません。

しかし、熱海にある秘宝館にも人魚の人形があるとのこと。

休みが取れた私は今しかないと思い行ってきたわけでございます。

 

熱海駅からバスで数分、ロープウェイに乗り、さらに階段を登ってついた秘宝館入り口。に、子連れの、家族旅行者が、いました。

乳〇丸出しの人魚の蝋人形の前で。

まだ秘宝館の入り口もくぐっていません。

オッフ…と思いましたが、家族連れ、お子さんのほうは人魚の人形をさして気にする様子もなく、立ち去られたため、私はロープウェイですでに買ったチケットを見せて入ったわけでございます。

春画に始まり、避妊具や性玩具の展示、局部丸出しの蝋人形もあります。

ツイッターを少し前ににぎわせたポル〇ハ〇のように、無料でモザイクなしの動画が簡単に見ることができる昨今、あえてこれを見に来る意味はなんなのか。

日本の文化を知るという知的好奇心なくしてはできません。

それかドンキでアダルトグッズを冷やかしに来るカップルのような遊び心がないとできません。

 

実際、秘宝館に置かれているものはどれも昭和の匂いを感じる悪く言えば古臭い、よく言えばレトロ感のある、どこか懐かしさを感じるものなのです。

ピンク映画のポスターが好きな方や、田舎の道路のちょっとしたスペースにある中の見えない自動販売機にわくわく感を抱く方には、郷愁を抱く不思議な空間です。

私は古い旅館のような絨毯の上を歩きながら、どこかノスタルジックな気持ちになっていました。

そして最後には、驚くべきことにオ〇エント工業の美しいラブドールがいました。

その時私は、このラブドールをいい感じに並べた方がよっぽど血の巡りがよくなるのでは……と思いましたが、ここはきっとそういう場所ではないのです。

 

大人のあなたはぜひとも行ってみてはいかがでしょうか。

熱海秘宝館は小高い山にあるため、秘宝館を見終わった後にとても美しい熱海の街を一望できまう。

もちろん、秘宝館に行かずに熱海の街を一望するのもおおすすめです。