三十路からのデスマーチ

何気ない日常がもしかしたら誰かの役に立つかもしれない。

台風の思い出

今週のお題防災の日

 

 

幸いなことに、私の住む家は近年大雨や台風地震に脅かされない日常を送っています。

しかし、その昔。

台風での出来事でした。

 

私は当時小学生。兄と祖母と供に、共働きでいない両親の帰りを家で待っていました。

ひどい風が窓を打ち付け、庭の木は斜めになり、子供心にどこか楽しく思っていたような気がしないこともありません。

しかし、大人のいないときに狼はやってくるのです。

非力な老人と子供のいる家も容赦なく襲った台風は、二階のクーラーの下にあった、木製部分の小さな窓を吹き飛ばしました。

今思えば、何故それを気付いたか不思議です。

私たちは一階にいましたから。

兄とともに見に行くと、寝室には雨風が吹き込み、四角い木の板が飛んでいました。

兄と一緒に抑え、ガムテープで補強し、なんとかしのいで一階に行きました。

母は仕事を切り上げて帰ってくることになりましたが、出張中の父はまだ遠く、電車が動かず身動きが取れないもよう。

兄は祖母に駆り出され、雨戸を閉めにいきました。

私は窓の外を眺めていました。

我が家は、コの字型をしていて、凹んだ部分に母の車を停めていました。そこにはささやかな屋根が付いていました。

r字型とでもいいましょうか。片足の屋根と家の形で風をしのいでいました。

私は風がひどいなあと見ていると、突風が一層窓を打ち付けました。

丸めた新聞が飛んで来たら、確実にガラスをぶち破るレベルの突風。

幸いなことになにも飛んでこなかったのですが、家の形が災いしたのでしょう。

車の雨避けが目の前で、まるで何か大きな見えない手に握りつぶされるように屋根を巻き込み潰れていくのを、私はなすすべもなく見守っていました。

あれは、外に出れば、子供など吹き飛ばしてしまうほどの風でした。

鉄製の柱をへし折りながら、屋根をぐちゃぐちゃに丸めました。

 

台風の後、無くなった看板やたこ焼き屋の巨大なタコの飾りを見て、その規模を知ることがあります。

私は目と鼻の先で、風の本気を垣間見ました。

あの光景は、映画かと思うほどあっけなく、一瞬で、凄まじい力を子供の目に焼き付けました。

 

台風の日に外に出ない、は当たり前ですが、今一度家の外回りを確認してみてはいかがでしょうか。

家の中にいても襲ってくるのが、災害です。

X-MENアポカリプスを観る前に安心してほしいこと

シリーズものって、最初から見ないと話がわからないから見送ることって多くないですか?

X-MENもシリーズが長すぎてやめようと思っている方がいるのでは、と思うと私は不安に駆られます。好きな映画はできるだけたくさんの人に見てほしい。

だからこそ、はっきり申し上げます。

今回のX-MENはシリーズの流れ的にファーストジェネレーションだけ観れば大丈夫です。

何故なら、今まであったX-MENシリーズは過去に戻って原作の何倍もイケメンになったウルヴァリンというキャラクターがなかったことにしたので。

X-MENシリーズで原作で人気のあるキャラクターを殺しまくったため、人気のあるウルヴァリンのスピンオフを挟んだりしながら、その時のイケメン俳優二人を使って過去編を作ったらさぁ大変。人気爆発。

「じゃあ過去にウルヴァリンを戻して話変えて過去からやり直そう。人気のあるイケメン続投して。」

というような事情があったと思うんですよ。なんとなく。

 

最新作アポカリプス。

この作品はX-MENの車椅子にのった毛髪のない老紳士とヘルメット被った老紳士が若かった頃の物語です。スターウォーズで言うとエピソード3にあたります。

重要なのは、心が読めるイケメン、チャールズと、磁力を操るイケメン、エリックが本当は信頼し合った親友同士なのに、方向性の違いから仲たがい状態にあるというのをなんとなくわかっていれば他はあまり気にしなくていいということです。

二人のイケメンがちょっぴり仲直りをして、X-MEN誕生に向かっていく話です。

 

時間に余裕のある人は、前作フューチャー&パストを観るとより良いです。今回も輝いているお茶目なキャラクター、ピーターがとても輝いています。

 

さて、さらに余裕のある人は、やっぱり全シリーズを見た方がいいです。

というのが、スパイダーマンファンタスティック・フォーとは違い、過去をやりなしたけれどそれまでのキャラクターたちが辿った別の未来と考えると違った趣があるのです。

特に今作では、X-MENシリーズでおなじみのキャラクターたちがたくさん出て来るので、懐かしい様な嬉しさが込み上げてくるのです。

 

最後に、注意してほしいことがウルヴァリンファンにはあります。

懐かしい、というよりも、なんでオファーを受けたんですかヒュー・ジャックマンという気持ちが込み上げると思います。

 

私は、最後までちらっとデッドプールが出るかなとわくわくしていたんですが、エンドロールにも出てきてくれませんでした。

公式サイトにはいるのに……。

 

 

 

 

 

 

ホラー映画と見せかけて恋の三角関係の青春映画「死国」

ホラーはそっと添えるだけ。

そんな映画「死国

久しぶりに東京から故郷の四国に夏川結衣に成長して帰ってきた主人公。彼女を待ち受けていたのはイケメン筒井道隆に成長した幼なじみと、高校生の頃に不気味な死を遂げて栗山千明のまま歳が止った友人。

 

本作は久しぶりに故郷に帰ってきた比奈子にそっと忍び寄る死んだはずの幼馴染の影、禁断の呪法、お遍路を逆に回ると死者が蘇る、等地方色の強いホラー設定満載なのですが、残念なことにその恐怖の核たる存在「莎代里」が美少女なんです。

可愛い日本人形のように白い着物を着てぎゅっとだきついてきたり、黒いロングスカートと白いブラウスという一時期流行した童貞を殺す服のようないでたちで上目遣いをしたり。こんな幽霊ならまんざらでもないなと思うレベル。

蘇ったばかりの彼女の弱々しく縋り付こうとする姿は、庇護欲を駆り立てられます。

どうして私は大人になれなかったの? どうして生きてはいけないの? 死んだらこの恋もなくなってしまうの?

比奈子に訴えかける莎代里の女の子としての素直な気持ちや未練になんだか見ていると可哀想で、もうほっておいてあげたい。

おらこんな町いやだー! とばかりに逃げ出したかったのにそれも叶わず、大好きな人は心の底では馬鹿にしていた幼馴染に寝取られるし、もう踏んだり蹴ったり。

そんな莎代里の心情を詳しく盛り込まれ過ぎて、最後には莎代里の身の上が悲しくて泣けてしまう。

 

例えるなら、十三日の金曜日でジェイソンがばったばったと人を殺すんだけれども、その中に大好きなお母さんとの思い出や、将来の夢や、大きくなったらぼくお医者さんになっていろんな人を助けてあげたいんだ、というような描写が挟まれる、という、なんでこんないい子があんなひどい目に遭ってしまったんだという悲しみがこみあげる結末。

 

比奈子よりも莎代里に感情移入してしまう人はきっと多い。

ホラー10パーセント、四国にはきっとこんな魔境があるんだ演出10パーセント なんだか甘酸っぱい恋80パーセントそんな割合の作品。

 

 

日本公開されなかったけど話題になった画像の元ネタ映画「ヘンゼル&グレーテル」。

今週のお題「映画の夏」

 

一時期、「そして殺す」という字幕付のジェレミー・レナーの画像が流行しました。ミッション・イン・ポッシブルシリーズの3,4が地上波で放送されるときにも「そして殺すおじさん」とか話題になりました。

 

ヘンゼル & グレーテル』(Hansel and Gretel: Witch Hunters)は、2013年アメリカ合衆国コメディアクションホラー映画トミー・ウィルコラ監督。 3Dで製作され[2]、2013年1月25日に公開された[1]

日本での公開については、一度2013年4月6日公開と発表されながら、その後公式サイトから日本公開日が消去され、2013年に入り「今年(2013年)公開予定[3]」「日本での公開は正式に中止[4]」と情報が錯綜していたが、2月17日に「パラマウント100周年公式アカウント」なるアカウントにて「パラマウントでは配給しません」との情報が流れた[5]。結局、日本ではDVDスルーとなり、2013年7月19日にブルーレイとDVDが発売されることになった[6]

 

ウィキペディアより。

 

日本のジェレミー・レナーファンの声は配給会社に届きませんでした。残念です。むしろDVDだけでも発売されてよかったと思うかもしれません。

かくいう私も日本公開を待っていたファンの一人でしたが。あの元ネタ「そして殺す」は映画のインタビューを抜粋したもので、内容はそのままです。悪い魔女を兄妹がぼっこぼこにして殺す。それ以上でも以下でもありません。

じつは二人の両親は……とか、グレーテルの隠された能力が発揮!とか、ヘンゼルの弱点とか、サーフィンのように箒を乗りこなす魔女とか、色々あるんですけど、「ジェレミー・レナーファン以外が観て誰が喜ぶんだよ」って配給会社に言われると、「う、うん……。」と言ってしまう作品。日本で公開されず大ヒットしたDVDの中に加われるかと言うと、やっぱりジェレミー・ファン以外は一回見たらもういいや! って思う作品。

 

しかしですね、明るくアハハって笑えるアクションとしては、友達で観るのに十分な作品なんですよ。

家族と観るのにはちょっと露出度の高いシーンが挟まれるので、友達同士がおすすめです。

 

ちなみに続編は頓挫しているそうです……。

B級好きな方にはおススメでございます。

 

 

 

 

一作目で終わってた方が良かった洋画ホラーシリーズ

今週のお題「映画の夏」

 

私の好きなシリーズものの洋画ホラーで、個人的には好きだけど1で終わっていたほうが良かったなという作品をおすすめしたいと思います。

 

「REC」2007年 スペイン作

 

カメラ片手にドキュメンタリーを撮影していたスタッフが訪れたアパート。そこは何故か警察から封鎖され、出ることができない。そのアパートで突然住民が凶暴化、謎のウィルスが感染していると察した住民たちは大パニックに陥り、真実を追い求めるスタッフたちにも惨たらしい結末が訪れる。

 

ブレアウィッチプロジェクトから手持ちカメラでブレブレな映像を撮るのが流行になりましたが、この作品はその中でも成功を収めた作品です。

薄暗いアパートの中を進んでいくのは強制的に進むお化け屋敷のようです。しかも外に助けを求めるのに、狙撃されるのです。窓に近づくなと警告され、もう絶望しかない状況。暗視カメラでしか見えない扉や化け物という仕掛けもワクワクハラハラするのですが、そのわずかな暗闇に現れるその存在に「ひぃっ」と声が漏れます。

この作品は2も恐ろしいのですが、2になると正体不明の恐怖にゆっくり輪郭が出てきて、さらに対抗策が出てきます。パワー型の恐怖に変わるのですが、扉の前を執拗にたたきつける凶暴化した住民と、今にも打ち破られそうな部屋の中でそっと銃口を自分に向ける特殊部隊隊員のシーンはその絶望感と恐怖が混ざって目を閉じてしまいます。

それが3になると、もう、アクションパニックスプラッター

ドレスの裾を裂いたガーターベルトむき出しの花嫁にチェーンソーを持たせることで、ゾンビ殺戮ゲームのようなスタイリッシュさ。

最後のロマンチックな新郎新婦のキスシーンはRECの絶望感はなく、ロミオとジュリエットのような哀しい愛の終焉です。

嫌いじゃないけど、この1.2への台無し感。3をこれまでのRECと思ってみると温度差で極寒の平原からサウナに叩き込まれたような息苦しさを味わうことになるでしょう。

海外ドラマはシーズンを重ねても面白いのに、何故映画はこうなってしまうのでしょう。悲しい限りです。

 

 

一人で観たくないホラー映画「女優霊」

今週のお題「映画の夏」

 

夏の風物詩、怖い映画。

最近では怨霊からマスコットにクラスチェンジした貞子さんと伽耶子さん、俊夫君親子のガチンコ映画が話題になりましたが、原点回帰して二人の映画を観た時に、彼女たちがこうした存在になる流れには海外の人気ホラーキャラクターとの類似性を感じました。

十三日の金曜日で有名なジェイソン・ボーヒーズ氏やエルム街の悪夢で斬新なファッションでおシャレ番長になったフレディ・クルーガー氏のように、がつんと画面に出てきて力技で命を奪う、パワータイプの存在なのです。

彼女らには日本的な湿気、こびりつくようなねっとり絡みつく恐怖はなく、明確な殺意と存在感を感じるようになりました。

 

私は、「呪怨」のゾンビのようなその演出を見た時、反撃ができそうな存在だと思いました。

実際なすすべもなく殺されていく人たちに、怯えず反撃すればなんとかなるのでは? と感じてしまいました。

また続編のパンデミックを見た時も、何故家に入っていない海外の人々にまで影響が出ているのか、そこまでの力があればとっくに日本が無くなっていそうなのに、という何とも言えない納得できない感が残りました。

家に入ってきた者を容赦なく殺す、というルールがあるはずなのに最終的にやりたい放題。その一貫性のない呪いは恐怖ではなくむちゃくちゃな物語の破たんを表していました。

 

見たくないという嫌悪感と、恐怖は別の感情です。

日本の古き良き恐怖は、京極夏彦の絵本「いるの いないの」のようなその存在をちらつかせながらも見せず、最後にぬうっと出て来るようなものだと言います。

 

そんな日本の恐怖映画を思い浮かべると、私は一つの作品が必ず過ります。

 

「女優霊」

 デビュー作に意欲を燃やす監督と、その撮影陣に襲い掛かる不可解な現象。呪われた過去作の存在。キャッチコピーは「それは けっして みてはならないもの」

1996年に中田秀夫監督の作り上げた作品です。

この作品は、血がほとんど流れません。

恐怖は輪郭をもって描かれません。それらは、ここにいると囁くのにはっきりと触れてきません。

私は女優霊を観終った後に、部屋の隙間や物影、目に見えない隙間が怖いと感じました。

そこに何かが隠れてこちらをみていると感じてしまうのです。

一人でいれば、突然やってきたそれにどこかに引きずりこまれてしまうのかもしれないと。

女優霊の恐怖は、情報があまりにありませんでした。

何故、いつから、どうしてそこにいるのか。どういった理由で生者を襲うのか一切分かりません。

けれどその作品を完成させようとするにつれ、それは近づき災いをもたらすのです。

 

最後に観終った後、とにかく誰かそばにいてほしいという気持ちになる作品です。

 つまり、恐怖というのは人の頭の中で作り出すのが一番恐ろしいので、あまりオープンに見せない方が良いというわけですね。

 

 

一期一会のディズニーポップコーン

映画館では必ずポップコーンを食べる私が生まれて初めてディズニーシーに行ったとき事前準備としてポップコーンについて調べました。

 

R2D2のポップコーンバケットが欲しかったんですよ。

 ディズニーランドでしか売っていないことを知ったのは行く三日前ですけど。

 

そしたら出るわ出るわ、ポップコーン情報。ディズニー行ったらポップコーン食べないなんてありえない、という無言のプレシャー。

 

今回私に「柳沢、ディズニーシー行こうぜ!」と誘ってくれた中島さん(仮名)はアップルパイ味のポップコーンがものすごく美味しいんですよ、とプレゼンしてくれたのですが、期間限定で売っていませんでした。

さらに行く前に、コーンポタージュがガチでやばいとプレゼンしてくれた友人もいたんですが、それも期間限定でありませんでした。

 

 

いいんですよ。塩味こそポップコーンは至高。べつに泣いてないです。限定味、食べたいですけど、もうないんだから諦めます。三十路ですから。泣いてません。

 

さて、マーメイドラグーンで買ったポップコーン塩味を食べると、これがまたふわふわとした触感なのに外側はかりっとしていておいしいのです。

できたてのポップコーン。そしてまんべんなくふわりとした塩味。最高。

 

「ディズニーのポップコーンはまんべんなく味が回るように、そしてはじけない種が残りにくい仕組みになっているんですよ。」

と中島さんがプレゼンしてくれます。

しかもポップコーンバケットに味や残り香が付きにくいようになっているんだとか。唯一カレー、てめぇはだめだと言っていた彼女は、もしかして元キャストさんだったのでしょうか。あの時の彼女にはオリエンタルランドのスタッフが乗り移っていたとしか思えませんでした。

 

せっかくなのでもう一味食べたいと思いました。

ふと見ると、周りにいる人皆ポップコーンバケットを下げています。

ポップコーンバケットかダッフィーかという勢いでぶら下げられています。ドレスコードに組み込まれているのでしょうか。

特にダッフィー、私も欲しくなってきました。

あの可愛らしいクマさんを抱っこしてディズニーシーを歩きたい。

しかし、持って帰ってどうするの!!と心の中のお母ちゃんが叱咤します。

妥協案として私は、ダッフィーのポップコーンバケットを買いました。

ポップコーンバケットへの欲求とダッフィーへの欲求、両方満たすことができると思ったのですが、このダッフィーは撫でてもふわふわしていません。目を開ければダッフィーですが撫でると固いプラスチック。

 

泣いてません。これでいいんです。

 

そしてダッフィーの中には綿ではなくミルクチョコレート味のポップコーンがぎっしり。

どうすればチョコレート味なのにこんなにぱりっぱりして手も器も汚れないチョコレートポップコーンを作れるのか、不思議です。

「ディズニーのポップコーンのチョコレートは絶対べたべたしない極秘レシピで作られているんですよ。しかも翌日もさくさくなんです。」と中島さんがまたプレゼンをしてくれます。彼女の魂はディズニーに遊びに来た客人ではなく、柳沢にプレゼンする専属キャストのようです。

 

彼女の言う通り、食べきれなかったダッフィーいっぱいのポップコーンは翌日もさくさくでした。飛行機の待ち時間にもりもり食べさせてもらいました。

 

ディズニーシーはダッフィーにはとにかく優しく、記念写真を撮る際には彼専用の台もあります。

なのでポップコーンバケットを置いて中島さんに写真を撮ってもらいました。

何故か。

私はこの日カメラもスマホも全て忘れて来たからです。中島さんでなければとっくに置き去りにされていたことでしょう。

 

 
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