三十路からのデスマーチ

何気ない日常がもしかしたら誰かの役に立つかもしれない。

いじめっ子が壮絶に死んでいく映画「ミスミソウ」

昨今、漫画原作の作品が叩かれる傾向にあります。しかし、その中に大成功を収める作品もあります。

そんな貴重な作品が「ミスミソウ」です。

 

あらすじ

大都会東京から田舎に引っ越してきた主人公。卒業間近に壮絶ないじめに遭うようになりついには家を放火されてしまう。両親を失い、妹は重体。そんな中、主人公をいじめていた生徒たちから、放火をしたのは自分たちだということを言われて…。

 

ホラーギャグマンガ作品を生み出すことで有名な押切蓮介先生。幽霊を素手でしばいたり、強いお婆ちゃんが出てくる作品群と、そこに時々挟まれる、凄惨で残酷な作品に温度差で体調を崩しそうな幅広さを持っています。

 

そんな押切先生が、コメディ要素をすべて取り除いて作り上げた漫画ミスミソウのあらすじは、とてもシンプルでわかりやすいです。

複雑な人間関係は一切なし。

家族を焼き殺された女の子の復讐の物語です。

この作品の舞台は、ゲームセンターもカラオケもない、田舎の集落です。

娯楽のない子供たちは、東京から来た主人公をいじめの標的にし、それを担任教師もとがめないことからいじめはどんどんエスカレートしていくという出だしです。

主人公には、助けようとしてくれる同級生の男の子や、いじめを受ける娘を守ろうとする優しい両親もいます。

いじめに遭うことはつらいけれど、卒業すれば主人公には明るい未来があることが予想されます。

対していじめっこたちは、虐待をする親がいたり、いじめられているのに親は真剣にみていないような雰囲気が合ったり(長かった髪の毛を切られてもあまり気にする様子がない)、将来を勝手に決めつけたりと、家庭に問題があることがうかがえます。

ストレスまみれの生徒たちはついに一線を越えてしまいます。

 

ミスミソウは救いがないという作品ですが、主人公のモノローグが少なく、復讐をしているのに達成感を感じたり、逆に後ろめたさを感じたりということはなく、ただ疲れたような顔をしているのが特徴的です。

作品のなかでも、主人公を引き取った祖父が心配そうに、家に帰るとただ眠っている、と言います。

「復讐なんか、君の両親は望んでいない!」

ときれいごとを言うヒーローはでてきません。主人公が一番よく知っています。彼女の両親なら、自分たちのことはいいから、春花は幸せになりなさいと、絶対に言います。

しかし主人公は、家が燃えるのを見たあの日に、壊れてしまったのです。

主人公の最愛の家族は焼き殺され、大切な妹は意識が戻らず大やけどのまま昏睡状態なのです。

彼女は淡々と復讐を続けていきます。

原作の漫画は、いじめられていた主人公の日常→放火→復讐の日々と淡々と静かに物語が進んで行き、結末を迎えます。

明確には主人公がどうなったか描かれていません。

主人公の祖父の言葉で幕を閉じ、この復讐がなにも残さなかったことを暗示させます。

 

さて、映画はどうかというと、結末がやや違うのです。

間にも描写が追加されています。

ミスミソウの舞台は冬なのですが、回想シーンに夏服の主人公がはさまれます。

笑っていて、友達とアイスを食べる、きらきらしたシーンが挿入されます。

原作では、生死不明(おそらく死亡)だったキャラクターが、笑っていたころの主人公に想いを馳せるシーンが結末に挟まれています。

 

漫画の結末は、むなしさ、悲しさが強く残ります。

映画の結末は、陰鬱だった日常の前には、笑っていた主人公がいたのだと思わせ、一層悲しさを感じさせます。

しかし、主人公の人生は悲しいだけじゃなかった、彼女を想っている友達がいたと思わせてくれます。

 

このキラキラと輝く青春の雰囲気は、実写だったから描くことができたシーンです。

薄い夏服の布地、明るい陽射し、笑っている主人公。

このワンシーンは押切先生の作風では描けないシーンです。

ここだけ少女漫画のようです。

 

これを一言で、どっちがいい、悪いとは言えません。

 

表現の仕方が違うだけで、どっちも最高なのです。

 

陰鬱さの最後にもの悲しさを残した原作も、陰鬱なだけではなく、輝いていた主人公を見せた映画も、良いものです。

なによりどちらも、いじめっ子への報復はきっちりしていますので、すっきりと見終えることができます。

 

 

もしも、いじめ子が壮絶に惨たらしく殺される作品が見たいなと思ったら、ぜひとも見てみてください。